年始ということで根幹的な部分をもう一度再定義してみる

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どうもおしょうです!

早くも正月が終わって、

通常モードに戻った方が多いんじゃないかと

思います。

しかしまー

今回のお正月は天気も良くて、

温かくて、すごしやすい年始になったかなといった印象で、

ほんと小春日和な感じがしましたね。

 

お正月はいかがお過ごしだったでしょうか?

 

初詣など行かれた方もいらっしゃると思います。

もちろんこれからって方もいらっしゃると思いますが、

いい天気でしたし、外に出かけられた方が多いのではないかと思います。

 

ちなみにおしょうは、

三賀日もすぎたことですし、

もう一度、根幹部分であるものを考えておりました。

もう少し指針をつくっておこうと思いまして。

 

それは「仏教とはなんなのか?」

という問いでございます。

 

もう少し具体的にいうと、

「自分や社会にとって仏教とはなんなのか?」

という問です。

 

まーこの答えは、

おそらくすぐには出てこないでしょうし、

「仏教とはなんなのか?または宗教とはなんなのか?」

自体は一生答えがでないものだと思っています。

 

でたとしても、

おそらく仮で、歳をとり、

活動をしていくうえで定義がどんどん変わってくるものだと思うんですね。

 

ただ、

「自分と社会にとっての仏教とは?」

というのはあらかた変わらないものだと思っています。

 

それこそ、

衝撃的な人生を一変させる体験をしないかぎり、

変わらないだろうなと。

 

なので、

その変わらない部分をもう少し、

自分の中で咀嚼し、理解しておこうかなと思い、

ウンウン考えているんですね。

 

じゃないと自分のことが、

わかんなくなってブレブレになっちゃいますからね。

ある程度、周りにはどう見られるかわかりませんが、

自分の中において今の行動や言動に整合性を

持たせておきたいんですね。

 

で、

そんな感じで考えていると、

やはり「仏教とはなんなのか?」という

根幹的な問がでてくるわけです。

 

これはお坊さんである以上、

さけては通れない問い。

 

で、

おそらく答えは千差万別。

十人十色だと思っています。

 

ただ、

不思議なんですよねぇ~。

 

よくよく考えれば、

仏教以外にも他の宗教と言われるものって、

人間が生きていくうえで必要なものでは

なかったりします。

 

誤解を恐れずに言えば、

生きていくうえで無駄なものですよね。

 

学んだところで、

お腹いっぱいになるわけでもないですし、

寒さをしのげるわけでもないですし、

喉の渇きを潤わせるものでもなかったりします。

まー間接的にはありかもしれませんが、

直接的には人間の生き死にと関係なかったりします。

 

そんなものなのに、

この世に存在していたりします。

しかも2500年以上前から残り続けていたりするわけです。

 

つまり裏を返せば、

その長い年月の間、必要とされてきた

ということがいえます。

 

ちなみに宗教自体は、

もっと前からあったといわれています。

 

そんな人間の生き死に

直接関係ない宗教が現代にもあり続けている

というのは不思議なことだったりします。

 

そう思うと、

宗教とか仏教というのは、

ある程度、豊かな国に必要とされるものだといえます。

まさに日本ですね。(^^)

仏教が生まれた時代も、

争いごとはあったものの、

文明が栄えていたと言われています。

 

仏教とはなんなのか?

なぜ求められるのか?

ちょっと年明けの間は考えてみたいと思います。

 

まー迷宮入りの沼にはまらないように

気をつけないといけませんが。笑