お寺の護摩から知る五感で感じて学ぶための教えとは?

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どうもおしょうです!

昨日はですね、

2月に引き続き護摩を焚いておりました。

部屋の中で火がボワァ~ってやつですね。

それで煙がモクモクと充満するという・・・笑

で、

あれをやっていて毎回思うのですが、

煙が目に染みたり、喉につっかかったりして苦しいんですが、

なぜか気持ちよかったりするんです。

「あ~護摩やってるなって」

 

もし、護摩がですよ。

火が安全な量しか燃えなくて、

煙も換気扇で全部吸っちゃって、全然煙たくなかったとしたら、

確かに見やすいし過ごしやすいかもしれませんが、

「なんか物足りないな?」ってなっちゃうと思うんですね。

あー火が燃えてんなぁってな感じで。

 

やっぱり、

あーいう精神的な儀式みたいなものは、

多かれ少なかれ五感で感じるというのが、

大切なんだと思います。

 

むしろ、そこにこそ全てがつまっていると思っています。

 

なぜなら、

五感で感じることに全てがつまっていなかったら、

護摩を焚くのなんて極端にいえば、

ユーチューブでやっている映像を見ればすみますからね。

 

その時、その場所にしか感じられないもの

というものがあったりします。

これは言葉にならない部分で。

 

もっと身近なところでいえば、

旅行もそうですよね。

旅行も雑誌やパンフレットの写真を見るだけでは

意味がなくて、

実際に現地に行って、地元の人と触れ合ったり、

現地のモノを食ったり体験したり、

空気感を感じたりすることに意味があったりします。

 

間違っても写真にのっているところだけ

いって、「はい、終わり」ということはないですからね。笑

 

やはり実際に動いて感じてる、

道中も含めて旅行なわけです。

 

で、

この目的地までの旅行の楽しさなんかを、

旅行というものを知らない人に伝えようと思っても、

なかなか難しかったりします。

論理的に言葉では説明できますが、

肝心の感情の部分はその場にいないと伝えることが難しかったりします。

ので、

そういう経験をしたことない人には、

とりあえず行ってみるのが一番だったりします。

考えるよりも行動ってやつですね。

 

ブルース・リーでいうと、

「don't  think, feel」ですか。

 

そして仏教的な意味合いでいうと、

「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉がよく使われていたりします。

 

文字に意味はなく、

文字の裏に意味があるというやつですね。

 

そう考えると、

僕達も文字や情報だけ見て、

知ったつもりになるのではなくて、

実際にやってみる、行ってみるというのが、

本当にそのものを知る上で重要なことだったりします。

 

最近の個人的な経験でいうと、

前回ブログで話した「子供の世話」というやつですね。

経験するまではわからなかった大変さや、

もどかしさ的なとこまで知ることができました。

(まーそれでも実際はもっと大変でしょうが。)

 

少なからずともちょっとはわかった。

ということですね。

 

なので、

「情報+行動」

そういうものを自分の中でクセづけていくと、

人生が前に進むと思います。

 

ちなみに、

「行動だけ」をやりがちな人は、

情報というものに触れて見ると良いかもしれませんね。

行ったり、やったりした先で前提情報がなく、

「よくわからないなぁ」ってなっている人をたまに見かけたりしますので。

そういう方は、

まずは最低限、場を理解するために、

前提情報を学ぶということをされるといいと思います。

じゃないと、行ってチンプンカンプンじゃもったいないですからね。

 

まーそういうことで、

2月に引き続き護摩をやりましたーっということでした。\(^o^)/

 

あ、そうそう、

お寺体験で書いていただいた写経も、

今回の護摩で責任もって焼かせていただき、

祈祷させていただきました。

来年あたりからは、

来てもらえるような場を作って、

写経を書いてくれた方に護摩のお誘いをできたらと思います。

 

今回はお誘いをしても良かったのですが、

わりとこじんまりした感じで行ったので、

「来てもらっても悪いなぁ」っと思ってお声がけしませんでした。

また次の機会があればお越しください。

写経を書いてもらい、祈祷させてもらいますので。(^^)

写経&護摩イベントですね。

 

まーそんな感じで、

今日はこのへんで!

アディオス!!