西音寺の御朱印がでけた!そのご紹介と文字の意味についてお話を

どうもおしょうです!

もう写真ででちゃってますね?笑

もしかしたらフェイスブックページでご覧になっている方も

いらっしゃるかもしれません。

はい。

そうでござんす。

西音寺の御朱印ができました!

イェーーイ!! ^^) 

 

っということで、

さっそくご覧になってもらいましょう!

こちら!!

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どうでしょう?

まーこれは試作中のものなので、多少日付などの字が汚かったりましすが、

だいたいはこんな感じです。

で、

これなんて書いているかといいますと、

「一隅を照らす」っと書かれているんですね。

これは日本の仏教の礎を比叡山で開いたお坊さん。

最澄の言葉の一節から拝借したもの。

 

一文をつなげていうなら、

「径寸十枚是れ国宝に非ず、
一隅を照らす、此れ則ち国宝なり」

っていった感じで、軽く訳すと、

『国の宝とは、高価なものではなく、

少しでも世の中を良くしようという心こそ、国の宝なり』

みたいな感じです。

 

これは最澄が比叡山でお寺を開く時に、

理念として掲げたもので、

国の宝(つまり国宝)とはこういうものだ。

っと語っているわけなんですね。

まー要は、形あるものが一番大事ではなく、

少しでも他者や自分、社会を良くしていこうという心の動きが大事なんだよ

っといっているわけですね。

 

で、

個人的にこの言葉が好きですし、

天台系のお寺ということもあり、「一隅を照らす」を採用させていただきました。

もしかしたら変更するかもしれませんが、

しばらくはこの言葉でいこうと思います。

 

お寺に来た方に、

「一隅を照らす」という言葉を届けようと。

そう思います。

 

こうやって、各々のお寺が、

仏教の言葉を使って御朱印書いたらおもしろいと思うんですけどね。

 

まーなかなか大人の事情とやらで難しいかもしれませんが。

 

ちなみにちょー個人的なことですが、

今日誕生日を迎えまして、

ありがたくおっさんに前進いたしました!

昔は誕生日がくるのが楽しみで、早く大人になりたかったのですが、

気づけば歳をとるのがだんだんと怖くなってきましたね。

あーまた歳とったー嫌だなーって。

 

まさにお釈迦さんが言っていた、

人生の4つの苦しみ、生老病死(しょうろうびょうしく)の苦しみです。

老いの苦しみってこういうことなんだなぁってつくづく思います。

 

でも、

そうれは自然の摂理どうしようもないことです。

あと、

だいたいのそういう時って「自分のこと」しか考えてなかったりするんですよね。

自分しか見えていないというか。

本当は周りに目を向ければ、

同じように悩んでいる人がいっぱいいたりします。

平気な顔しているけど、実は気にしてたりね。

 

なので、

そういうのをイメージすると、

まー傷の舐めあいではないでうが、安心感に変わったりします。

自分だけじゃないんだと。

 

そうすると、グチグチ気にしていることを言ってくる人は、

少数派の嫌な人だと思えるし、「勝手に言っとけ」っとある種の開き直りができたりします。

だってそれは、その人だけの価値観にすぎないから。

 

もっと目を広くむければ、

その悩みを理解してくれる人はいたりします。

むしろそんなの「どうでもいいやん!」的なね。

 

不安でいっぱいの時は、

自分の狭い世界で閉じこもりがち。

そう思います。

なので一番は、嘘でもいいのでまずは気にしない、

もしくは不安を口にだして、だって「○○だもん!しゃーないやん」っと

自分に正直に言ってみるのもいいかもしれませんね。

 

しゃーないことって、

ほとんどの人にとってもしゃーないことなので。

 

っといった感じで、

歳をとるのは怖いですが、

恐れてもしゃーないやん!っということです。笑

 

それよりも、

一隅を照らす。

そういった、良いエネルギーの循環が自分におこるように

日々生きていきたいですね。

 

でもやっぱ、

じじぃにはなりたくないなぁ~(笑)