J-POPの原点はお経って知ってる!?曲打ちをしていて思ったこと

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どうもおしょうです!

なんか聞くところによると、

東京では雪がふったらしいですね。

おしょうのところは、

今年は珍しくまだ雪が降っていません。

なので、

冬というよりもどちらかと言うと、

秋っぽい日が続いております。

 

さて、

最近はもっぱら4月に向けて木魚の

曲打ちの練習をしているのですが、

曲打ちをしていて思うのが、

昔も今も音楽というのは変わんないなということです。

 

というのも、

前にどこかでお話しをしましたが、

お経というのはそもそも現代のJ-POPの原点だったりします。

 

はるか昔、奈良時代の頃からお寺の開眼法要で、

イベントとしてやられたことが日本の歌の原点だといわれています。

世界的にはもっと時代を遡ると思いますが、

日本ではお寺の法要が文化の原点だったんですね。

 

そこから時代が経つにつれて形を変えて、

現代のJ-POPになっていくわけですが、

基本は変わっていなかったりします。

 

どういうことか?

 

歌というのは、

前衛的な音楽は抜きにして、

そもそもなにか伝えたいことがあって、

それを人により伝わるように曲や歌詞を作って、

歌うというのがそもそもだったりします。

 

例えば、

「愛」だったら、

男女の恋愛模様の愛に抽象度を落として、

「愛は勝つ」という歌に変換するというものですね。

 

『最後に愛は勝つ』

という書いた文章を送られるよりも、

あの歌を聞いた方が、

心になにかしら響くと思うのです。

 

そうだ!最後に愛は勝つんだ!頑張ろう!ってね。

 

字に書いた紙よりも、多くの人に伝わると思うのです。

 

なので、

お寺も同じ。

より多くの人に仏教というものが、

「こんなんなんだよ」っというのを伝えるために、

一般の人が聞いてもわかりやすいように変換しているわけですね。

 

ちょっと思い返してもらいらいたいのですが、

仏教以外にも、あらゆる宗教というものに、

そういう歌というのがつきものだったりします。

キリスト教だと賛美歌とか、

神道だと国歌斉唱とかね。

これらも、自分たちの教えというのは

「こんなんなんだよ」とわかりやすく表現していたりします。

 

あとは、

社歌とかアニソンなんかもそうですね。

 

そういうふうに考えていくと、

どれも同じだなって思いませんか?

 

よくよく考えると全部同じなんですね。

なので、

曲打ちをしていると、なんかドラムを叩いている

ような感じになってきて同じだなと思うわけです。

 

まー見る人によっちゃ、

お経の曲打ちなんか邪道と捉えられるかもしれませんが、

「伝える」という視点でいくと、

通常の打ち方だろうが、曲打ちだろうが、

ようは同じことなんですね。

ただ、やり方が違うだけ。

 

そして、あからさまな邪道はあれですが、

邪道というのは「伝える」という点において、

必要なことだったりもします。

 

同じことの繰り返しだと、

感動が薄れていきますからね。

それに、

邪道によって文化が発展していったという側面もあるわけですね。

 

数珠なんかももともともをたどれば、

ないわけですから。

 

そういった感じで、

時代に合わせて変化していく、

でも伝えていることは同じ。

 

そんなことを曲打ちの練習を

しながら思う今日このごろでございましたー!

今日言った視点で、

あらゆる歴史的な文化みたいなものを

見ると今につながるモノが見えてくるかもしれませんね。

 

形は違えど昔の人も同じことを

考えていたということです。