どうもおしょうです!
いやはやもうまもなく年末ということで、
お寺の大掃除をどうしようかなと考えているところです。
ある程度、計画をもってやらないと、
そこそこ大きい建物故に、
いろんなものに手を出し始めて収集がつかなくなるんですね。
気まぐれにやり始めた部屋の模様替え的な。笑
模様替えしている最中に、
懐かしい物がでてきてついついそっちに目がいって、
時間がすぎちゃうみたいな。
それでやる気も下がって途中で適当になるみたいな。
そんなことあると思います。笑
最初はやる気マンマンだけど、
途中で面倒くさくなるっていうね。
なのでそれを避けるべく、
ある程度計画を練っておこうと思うのです。
大まかにここまではやるっていうね。
そこが決まっていれば、
多少面倒くても最後まで一応やると思うのです。
ということで、
どこやろーかなーって考えているところですね。
で、
今の時期といえば
町はクリスマス一色なんではないでしょうか?
おしょうの住んでいるところは
田舎ということもあってあまりそれは感じることが
ないのですが、
おそらくそうなんだろうなぁっと思います。
以前都会に住んでいた頃は、
クリスマスの時期になると否応なく、
「クリスマスでっせー!」
っていうのを意識させられたのですが、
田舎のこのお寺に戻ってきた頃から、
あまり感じることがなくなったんですね。
「あ、そういえばそんな時期か」的な。
そう考えると、
普段どれだけ町のお店や広告、
テレビなどに影響を受けていたのかがわかります。
あってないようなものなのだと。
まーその影響が良いとか悪いとか
そういうことを言ってるわけではないですよ。
単純にクリスマスのイルミネーションとか
綺麗で好きですし、なんか町が活気づいていて
楽しかったりしますから。(^^)
いつかお寺でも、
宗教は違えどそういうのやってみたいなとは思っています。笑
楽しいから良いでしょ的な。笑
まー話しはそれてしまいましたが、
要は自分が思っている以上に今いる環境が
全てではないということですね。
ついついそこで生活をしていると
見落としがちなところだと思います。
ちなみに、
お寺の話ですが、
平安時代のころから貴族の女性が出家する
ことが多いという話しはご存知でしょうか?
貴族といえばその当時、身分が高い人達ですから、
どちらかというと誰しもが羨ましがる身分の人達です。
その貴族の女性が出家をするということですから、
普通に考えれば謎な行動です。
出家する意味がないですからね。
で、
今では出家というのはお坊さんになるための
ものだと思われていますが、
その当時は「出家=別の世界」という意味合いでも
持たれていました。
僕自身、これに関しては、
「死して生きる」という言葉でいっているのですが、
要は現在の貴族である自分を捨てて、
新しい世界の自分として生きるということですね。
もっとカッコいい言葉でいうと、
「過去を捨て、未来を生きる」
といった感じでしょうか。
そんなニュアンスがあったと思います。
要は、
昔は今みたいにグローバルで自由がなく、
決まりごとが多く、そこから抜け出すことが難しかったんですね。
なんというか、
敷かれたレールを歩かされる的な。
それが嫌でも逃げる場所がないてきな。
そんな感じだったと思います。
特に昔は男性社会で女性の身分が低かった
こともあり、女性はそういうのが強かったんだと思います。
そんな状況の中で、
唯一逃げれる場所だったのが、
「出家」という方法だったんですね。
出家をすれば今生きている環境から切り離されますし、
周りからも〇〇家の女性ではなく、
尼さんとして見られるようになるんですね。
なので、
出家というのは今よりも重く、
人生を捨てるというぐらいの意味合いが強かったんだと思います。
で、
なんでこんな話しをしたのかというと、
人生を捨てて出家しましょう!ということではなく、
環境や場所が変われば、
生きるルールが全然違うよという話でした。
なので、
そこが全てではないってことですね。
昔と比べて今は、
それが割りと軽く自由になっていますから。
平安時代の女性貴族からみたら、
驚きの現代です。
「自由恋愛!?マジかよ!!」
てな感じですね。笑
羨ましい~!!っと嫉妬されるかもしれません。笑
ちなみに、
お経の言葉でいうと、
「色即是空 空即是色」ですね。
それが全てではあるが、全てではない。
全てではないが、全てである。
といった感じです。
それを少しでも感じることができるのが、
海外旅行や引越し、転職なのかもしれません。
それが簡単にできる今というのは、
恵まれている環境にいるのだといえますね。
出家しなくてすみますから。笑