どうもおしょうです!
いや~なんか
ところどころで風邪のご心配をいただきありがとうございます。
まだクシャミや咳はでますが、
だいぶましになりました。(^^)
いつもこういう時は民間療法で、
勝手に治るだろうと思ってすごしていたりします。
まーまわりからしたら風邪がうつるので迷惑なわけですが、
その時は諦めて下さいと言わんばかりに、
咳をしております。笑
だって、
申し訳なさそうな顔をしていても
咳はでますから、
どうせ一緒にいるならシンドイ顔されているより、
楽しそうに開き直っているほうが周りからして
一緒にいて楽しいと思うんです。
まー勝手なエゴですが。笑
それはお互いの人間関係ということで。
初対面の人にはそんなあつかましくいかないですよ。
もう少し控えめでいきます。笑
でも、
病は気からといいますか、
自分がシンドイ顔をしていたら、
周りにそれが写って周りもシンドクなると思うんですね。
それで、
シンドそうな顔をしていると、
周りから見ても完全にシンドイ人というイメージがついてしまいます。
いくら言葉で「大丈夫」と言っていても、
シンドそうと思われたらそういうイメージに定着してしまうんですね。
そう周りから思われたら、
余計に自分もシンドイ人になっちゃうわけです。
まーこれを医学の世界ではプラシーボ効果とよく
いったりするんですが、
ようは思い込みでよくよく考えたらたいしてシンドクないのに、
いつも以上にシンドイような錯覚に襲われてしまうんですね。
これが体にも悪いと。
なので、
そこまでシンドクないときは、
申し訳なさそうな顔をするよりも、
「そういえば風邪ひいてた」ぐらいの
気にしない気持ちでいた方が結果、
体にも周りにもよかったりします。
「風邪ひいてたんだっけ?」
と周りに思われたら、
”風邪をひいていない自分”というのが周りに
イメージとして定着しているので、
そっちに自分のイメージが引っ張られるわけですね。
『自分=風邪をひいていない人』
と。
そうなると病は気からということで、
風邪は治りやすくなるという感じです。(^^)
あくまでも持論ですので、
参考までに。
ようは風邪は治そうと思ってもすぐに治らないんだから、
シンドそうにしていても、そうでないにしていても結果は同じ、
ならあなたならどうする?
といった感じです。
とまーちょっと余談が長くなってしまいました。笑
で、
今日はおしょうのお寺体験について、
少し話そうかなと思います。
まーなにかといいますと、
おしょうのお寺体験では基本おしょうは作務衣を
着てることが多いんですね。
よくお寺の体験にいくと、
お坊さんが黒衣を着ていることが多いのですが、
おしょうの場合は作務衣を着て体験すること
にしていたりします。
それは参加された方と
おしょうの距離を近くにしたいという考えから
きていたりします。
どうしても黒衣を着ていると、
あきらかにお坊さんと参加者という距離が
できてしまうのでそうなると、
気軽なコミュニケーションがやりずらかったりします。
まーお寺の一つのエンターテイメントとして、
衣を着るというのはありかもしれませんが、
個人的には参加者の人とできるだけ同じ目線
で接したいので作務衣を着るようにしています。
ようは制服着用が義務付けられている学校の先輩と後輩みたいな
感覚ですね。
スーツを着ると先生と生徒になっちゃうので、
制服を着るといった感じです。
どうしても、
お坊さんときくだけで世間的に上に上に
崇められる風習があるので、
そういう謎のフィルターをなくしたいわけですね。
個人的にそういうの苦手なので。
なんというか、
その人を見るというよりも、
お坊さんという肩書だけを見られている
感じがするので。
苦手なんですよね。笑
なので、
豪華な座布団とか、
高茶台というお茶の下皿が、
縦に高い皿があるのですが、
そういうのもできるだけやめてもらっていたりします。
まー無理に強要はしませんが、
普通に人として接してもらいたいわけですね。
と言った感じで、
多少愚痴っぽくなってしまいましたが。笑
ようはそういう意味合いで
お寺体験では作務衣をきていたりします。(^^)
おそらく先生業とか
やられている方はこの感覚わかるのではないかな
と思います。
肩書とは役割をしめす
言葉でしかないので。
演劇で言えば〇〇役の何々さんなわけで、
役をとっちゃえばみんな同じ人間です。
PS.
今日は月9ですね。
どんな展開になるのか楽しみに
見てみたいと思います(^^)