どうもおしょうです!
コロナウイルスが流行っているという事で、
軒並みイベントや行事が中止になっていたりします。
主催者、運営者の人からすれば
かなりの痛手だと思います。
というか廃業にもなりかねないほど。
特にイベントやライブ、行事などで、
運営を行ている会社からすれば、
一回の中止で危機的な状況に追いやられてしまいかねます。
直前の中止という事は、
そこまでかかった費用も含めて大赤字ですからね。
なので、中止しなかった所があっても、
叩くのは違うかなと思います。
自分のみに降りかかったと思えば、辛い判断だと思います。
そんな感じで、一部の企業には辛い状況が
続いている感じで、お寺的にはと言うと、
お寺的にもSNSを見ていると中止や延期をする
所もチラホラ見受けられたりします。
特にこれからは彼岸の時期ですから、
彼岸の時期までにはなんとか収束してほしいなと。
まー今はピークを遅らせている措置なので、
収束はもう少し先になるのですが、
早くコロナウイルスの事が解明され、
自粛ムードが解消されればと思っています。
ただ、今回の事でもそうですが、
災害が起こると言っても、想像できない事がおきたりします。
想像の上を行くというか。
僕たちの頭の中では、
災害=地震、火事、土砂、雨、津波。
みたいなイメージがあったりしますが、
まさかウィルス感染でここまで大事になるなんて思いもよりませんでした。
そう、去年の夏にあった、
京アニの事件もそうですね。
死者は出ていませんが首里城もそう。
火災というものの怖さを痛感しました。
で、もっと遡ると災害ではないですが、
池袋、大津の交通事故も、
交通事故の悲惨さ予期せぬ出来事が起こる怖さがありました。
で、そん時に思うのです。
普段の日常というのは幸せなんだなと。
当たり前の事なのですが、
どうしても日々過ごしていると、
その感覚を忘れてしまいます。
元気よく外に出れて遊べる。
イベントやライブも楽しみに行ける。
それが当たり前の事だったんですが、
いざ無くなると、その当たり前が幸せな事なんだと思ったりします。
不幸を感じて幸せを感じる。
皮肉なもので、
幸せというのは不幸があって、幸せが存在していたりします。
必ずなにか幸せ!と呼べるものがあったら、
その反対側には不幸せなものが共存していたりします。
そう思うと、ある意味幸せを求めることが、
そもそも違うのかもしれません。
仏教では「当たり前を感じなさい」
というのがいろんな教えの中で出てきたりします。
太陽が昇り、鳥がさえずり、
草木が風に揺れ、今日も一日体を動かす。
その一つ一つを心の雑音を消し、
清まして見つめてみなさいと。
これは一度やってみるとわかるのですが、
それだけで、今が足りている事に気づかされるんですね。
無いではなく、有る事に気づかされるわけです。
無いモノに意識を向けるのではなくて、
有るモノを一つ一つ見ていくというもの。
人は普段、全てを見れているようで、
ちゃんと見れていなかったりします。
それは意識によって見ているから。
目で見ているのではなくて、
意識で人は見ているからですね。
足りないと思っていたら、足りないし、
足りていると思っていたら、足りていると見えるのです。
なので、今有る事に意識を向ければ、
外に幸せを求める必要が無かったりします。
幸せは外にあるのではなくて、もうあるのです。
世の中の定義で幸せ、不幸せを
求めるのではなくて、そもそも有る事に気づく。
そうすることで、災害は防げませんが、
今生きている日々をもう少し大切に、
充実した日々を過ごせるのではないかなと思います。
災害が起きてから感じるのではなくて、
今のうちに感じておこうという事ですね。
頭ではなく、心で。
予期せぬことはこれからも起こります。
だから、不安に踊らされるのではなく、
なにが足りているのか?という事を認識しておくと良いと思います。
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