あの世は彼岸でこの世はなんという?秋の法要でイマを見つめ直す

どうもおしょうです!

お彼岸ということで、彼岸花が咲いていますね。

 

僕は連日、お彼岸の法要で、

いろんなお寺にいっていたりします。

 

夏が終わって間もなく、

お彼岸ということで、

毎年この期間短いなぁーなんて

思っていたりしますが、

季節の変わり目ということで、

アナログな生活中心だった昔は、

より季節の変わり目というものが1年において、重要なものだったのではないかと思います。

 

お寺によっては、この秋の法要が終われば、

年末あたりまで行事があまりなかったりしますからね。

 

そういった意味で、お寺の行事納めてきなところもあったりします。

 

僕のお寺も10月の頭を過ぎれば、

12月まで当分行事が無かったりするので、一区切りといったとこですね。

 

なので、今はいろんなお寺に

行ったり来たりしながら、お経を唱えまくっているといった感じです。

 

ちなみに彼岸というのは、あの世といった意味。

逆にこの世は此岸といったりします。

 

彼岸と此岸、向こう岸とこちら側。

ひとつの境目があるように、

あちらとこちら側に分けて、彼岸と此岸といったりするんですね。

 

そういったところの発想も、

日本人の生死観をうかがえるものだったりします。

 

まー彼岸については、

前に話したので、知りたい方は、

そちらの記事を読んでいただいて、

彼岸に向けての法要をこの時期にやったりします。

 

秋は、夏から秋への変わり目。

春は、冬から春への変わり目。

お彼岸が終わると、自然とそういった、次の季節へへという気持になってきます。

 

同じ時期がずっと続くのではなく、

次へ次へと進んで行く、そんな気持ちにさせてくれますね。

 

法要では過去のご先祖さんを供養しますが、

生きている僕たちは、今の移ろいを感じ、

次に進んでいることを感じたりするわけです。

 

あぁ~秋だなぁって。

 

そんな季節の移ろいを感じるのに、

行事というのはちょうどいいものだったりします。

 

普通に生きているとなかなかそれが感じられない。

 

なんとなく涼しくなったなぁ程度で。

 

気づけば時が過ぎている、そんな感じだと思います。

 

そう思うと、行事というのは、

今を感じ時の流れを自分自身が理解するために、よかったりするかもしれませんね。

 

行事という形としてハッキリわかるから、

自分も「時」というのを認識できるわけで、

なんとなく生きていたら、ハッキリとはわからなかったりします。

 

人は時間が有限で、

無限じゃないからこそ、

そういった時を感じ、今を見つめるというのが大事だったりするかもしれませんね。

 

去年の自分と今の自分を比べたりできるわけですから。

 

なにも秋の行事は、

その行いだけではありません。

 

そこから、自分たちの1年というのを

感じさせてくれるものだということですね。

 

そう思いながら、

僕も去年の自分より良い法要ができるように、お経を唱えました。

 

僕は法要の時、余裕があると周りを見るんですが、

その時に、お経を聞いて手を合わせてくれている人や、

さっきまで喋ってたのに、聞き入っている人を見ると、

「あぁお経が伝わっているな」っと思っていたりします。

 

そんなことを指標にしながら、

少しでも法要に来てよかったなと

思ってもらえるようにお勤めをしています。

 

また来年もこの人のお経が聞きたいなって

思われたら、尚更良しですね(^^)

 

お経も坊主の自己満足だけではなく、

聞いている人に、伝わってこそが法要だと思っています。

 

逆に伝わらない坊主の自己満足は、

終わっていると思ってますしね。笑

 

そんな感じで、

ひとつの法要ですが、

いろんな人の思いがあり、

それぞれに秋というものを伝えているということですね。

 

今を感じ秋を過ごしましょう!

もうすぐ今年も終わりですからね。

 

時は無情にも流れていくだけです。

 

今日の積み重ねがまた来年にもつながっていくということですね。


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