お坊さんが塔婆を筆で書き続ける理由にはお寺ならではの意味がある?

どうもおしょうです!

最近では字を書くというのが、

習慣として少なくなってきました。

 

文字を書くというよりも、

スマホで文字を打つの方が多いのではないでしょうか。

 

それはお寺もそう。

僕自身もなにかお寺の連絡事項など、

書類を作る時は、だいたいパソコンで作っていることが多かったりします。

 

なにか荷物を送る際も、

宛先をパパパッとパソコンで書いて、

プリントアウトして貼り付けるということを、よくやっていたりします。

 

で、その方が早いし、

誤字脱字、文字の上手い下手を

気にせずやることができたりするからですね。

 

特に僕は字が下手くそなので、

パソコンで文章を書けることに

すごく誤魔化・・・助かっています。笑

 

なので、できるだけパソコンや

スマホで文字を打てればなと。

そう思っています。

 

ただ、塔婆などお寺の宗教的な

ものに関してはそうでもなかったりします。

 

どういうことか?

 

僕は宗教の本質は、人の心だと思っています。

 

つまりパソコンの文字など、

機械的なものは真逆のところにあると思っているんですね。

 

だから宗教的なものに関しては、

人に宗教的なものを伝えるものですから、

人間味があるものじゃないと、意味がないと思っています。

 

無機質な感じがするものよりも、

凸凹でザラっとした人間味があるものがいいと。

 

その方が人の感情に届くからです。

 

なので、最近では塔婆も

機会で書いてくれるプリンター的なものが

あったりしますが、あれはある意味、

宗教観というものを消している行為になっていたりするんですね。

 

その時は自動でプリンターが

やってくれて楽ですが、

長い目で見たら、お坊さんが自分たちの首を自分たちで絞めていることになります。

 

宗教的というのは機能的なものではないので、

効率化をしたらいいというものではなかったりします。

 

効率化を求める機能的な論理よりも、

心理的なものを求める論理だと。

 

だから効率化すればいいというものではなかったりするんですね。

 

そしてそれをお寺がやってしまうと、

より本来の意味が薄れ、形骸化していくことになります。

 

例えば、

南無阿弥陀仏の掛け軸がたまに

お家の床の間にかけられているのを見ますが、

あれがパソコンのフォントで書いた文字だったら、

なんか薄っぺらく感じたりしませんか?

 

安っぽいというか、ご利益なさそうな感じ。

 

やはり掛け軸に書かれる文字というのは、

達筆な筆で書かれるから、

人に伝わり良さがあったりするわけです。

 

つまり、掛け軸の価値は、

なにを書くかというのにあるのではなく、

誰がどういう風に書くか?というのが、

掛け軸の価値だったりするんですね。

 

掛け軸に機能性を求めたら、価値がなくなりますから。

 

だから掛け軸を買う人は、

機能的なものを求めて買っているというよりも、

心理的なものを求めて買っていたりするのです。

 

それは塔婆もそう。

ただ塔婆に文字を書けば良いということでは無くて、

どのように書くかというのに、意味があったりするんですね。

 

筆で書くから伝わるものもあると。

 

だから、塔婆やお寺の宗教的に

人に伝えるものに関しては、手で書くようにしています。

 

文字を伝えるのではなくて、心を伝えているので。

その違いですね。

 

で、

こんなこと言うと、

手書きの方が人に伝わるから良いよね、

手紙の方が温かみがあるみたいな、

よくいる手書き温かい主義みたい人の

一人だと思われがちですが、それは違います。

 

手紙はやっぱり手書きの方が

温かみがあって良いよねぇっという、

そんなしょーもないことを言うつもりはありません。

 

手紙はパソコンでも十分伝わる文章を書けますし、

手書きだからいいということではありません。

 

要は、僕が言いたいのは、

なにを伝えるか?ということなんですね。

 

それによって手書きで書くか、

パソコンで書くかの手段が変わってくると。

 

心を伝えたいなら、手書きで書く場合もあるし、

連絡事項や論理的な説明を伝える部分があるなら、

パソコンで書くということです。

 

要はなにを伝えたいか?ということ。

 

それによって、なにを選ぶかがかわるだけの話しです。

 

手段が変われば、伝わり方も変わりますからね。

 

そういうことです。

 

そんな感じで、相手になにを伝えるか?

なにに価値を感じてもらえているか?

によって個人的に変えているということですね。

 

塔婆や御朱印などは、

手で書くから意味があるのだと、そう思っています。

 

だから、どんだけ機械化が進んで、

便利なものが出てきても、

なにを伝えるか?が変わらない限り、手書きで書き続けるということですね。

 

なぜなら、それが宗教の本質ですから。

 

そんな感じで、

なにを伝えるか?によって、

手段が変わってくるというのを、

普段の生活でも参考にしてもらえればと思います。

 

LINEなのか、手紙なのか、直接なのか、

電話なのか、動画なのか・・・

それによって、伝わり方が変わってくるということですね。


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