小学生の時に仏門に入ってはじめに教えられたこと

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どうもおしょうです!

いや~今日は雨ということで、

朝から曇り空の一日でしたね。

 

個人的には、

以前植えたツツジの苗木に

水が注がれるので嬉しかったりします。(^^)

 

でもまー

根腐れして枯れちゃうってのは困るんですが、

はじめて植えたもんで、

そこらへんは仕方ないかなと思っております。

 

場所的に枯れやすい場所かもしれませんしね。

そこらへんは、様子を見ながらやっていきたいと思います。

 

さて、

今日はお坊さんになってからまず習うことに

ついてお話ししようと思います。

 

はて?習うことって?

 

と疑問に思われるかもしれません。

 

もしかして秘儀みたいな、

小難しいやつかなぁって。。。。

 

で、

これは得度といわれる、

要は仏門に入るための出家の儀式があるのですが、

ほとんどのお寺の子は9歳など、

小学生の時期に受けたりします。

 

本人の意志とは

関係なく半ば強制的ですが。笑

 

まーそんな話しはおいといて、

そういう儀式があるわけですね。

 

で、

そこでまず教えられるのが、

「挨拶」です。

 

まだ子供ながらの小僧といえども、

一般の人からみたら衣を着たお坊さんと見られるわけで、

お寺の境内で会う方には

「挨拶をしなさい」

とお坊さんとしての所作を教えられるわけですね。

 

とはいえ、

半ば強制的にわけもわからず

連れてこられたわけですから、

そう言われたとて適当に右から左へと聞き流していたんですね。

 

一応怒られるから今だけやっとこう的な。笑

 

当時はそんなことを思っていました。

 

で、

おそらくあなたも

同じことを経験したことがあるのではないかと思います。

 

学校や部活、社会、

周りの大人たちに「挨拶をしなさい」っと

まず教えられたと思います。

 

そして初めは

「なんか口うるさいなぁ~」って思っていたはず。笑

 

僕もそうでした。

いきなり挨拶という行いに衝撃を受けて、

「これは大事なことだ!!」

って思うことはありませんでした。

 

どちらかというと、

初めは「なんかめんどくさいなぁ~」

の方が強かったと思います。

 

そして、

思春期になると自意識が発達して、

余計に挨拶がこっ恥ずかしくなったんですね。

 

意識しすぎてギコチナイというか、

人見知りもあって、

まともに挨拶しなかったわけです。

 

なので人間づきあいが

苦手な方でした。

(今も得意となったわけではありませんが、

前よりはましになりました。笑)

 

そんな人間でしたから、

まー印象は良くなかったと思います。笑

 

逆の立場からみても、

なんかいけ好かないやつだなーって思いますから。笑

 

で、

そんな時に周りから好かれていて、

好印象を持たれている人を見てみたんですね。

 

するともれなく

「挨拶」をしっかりしているわけです。

 

積極的に自分から。

 

これはなんなのかなぁって、

よくわからないまま、

自分の中に挨拶というものを意識してとりいれてみたわけです。

 

やっぱり人に好かれたいですから。笑

 

とりいれていったわけなんですね。

 

それから、

すぐには変化はわかりませんでしたが、

後々になってわかってきたことがあります。

 

挨拶って他人と話しはじめる

きっかけに便利だなぁっと。

 

ほら、

知らない人でも挨拶されたら

しますし、挨拶をしたらほとんどの人は返してくれたりします。

 

わたし「こんにちは」

他人「こんにちは」

って。

 

まーごくごく当たり前のことなのですが、

挨拶をしたのと、挨拶をしていないのとでは、

少しその人との距離感が違うと思うんですね。

 

お店に入って、無言でシーーンよりも、

「いらっしゃい!」と言われたほうが、

入りやすいと思うんです。

 

無言でシーーンだったら、

「え、え、なんか大丈夫?」

って不安になりますからね。笑

 

そういうごくごく当たり前のことですが、

小学生の時にお寺で教えられたとが

ようやくわかってきたのです。

 

これも後々わかることですが、

お釈迦さんの教えで、

「和顔施(わがんせ)」という言葉があります。

 

和やかな顔で相手と接するということですね。

そして、

「施す」ですから、相手に元気や繋がりなど、

なにか相手に良いものを与えるという教えです。

 

決して下心まるだしでニヤニヤ近づくわけではないですよ。笑

怖いですから。笑

 

それは不快感になってしまいます。

 

いやですからねぇ~、

いきなり無言でニヤニヤ来られたら。

 

といった感じで、

仏教の教えでも挨拶というのは、

大切なことだと言われているわけです。

 

合掌もそうですし、

両手両足、頭を地につける礼拝もそうですね。

 

儀式的にも必ずそういうものが

とりいれられています。

 

ボクもまだまだ挨拶がちゃんとできているか

と言われればわかりませんが、

あの時の言われていた「挨拶」という意味には、

そういう意味があったんだよというお話しでした。(^^)

 

とはいえ、

誤解されてほしくないのが、

「挨拶しないなんてけしからん!」

というのではなく、

「挨拶」ってこういう意味があるよ。

あなたはどうする?

ということなので、挨拶をするかしないかは、

個人で選ばれればいいかなと思います。

 

ボクは自らの経験から、

挨拶が大事だと思うようになったので。

 

ただ、

嫌な人にまで

ごまをすって笑顔で無理に挨拶はしませんが。笑

 

ちなみに、

個人的な経験からいうと、

少しテンション高めでハッキリと挨拶すると

いいのではないかなと思います。

あくまでも持論ですが。

 

あ、そうそう

人間の心理的にも「話したことない人」に

話しかけられるのは抵抗があるみたいですね。

なのでそのために、

最初の入口としてお互い話すことができる

挨拶があると。

 

講演会の質問タイムで、

一番最初に手をあげるのに抵抗があるみたいな、

そんな感じです。

 

なんでも最初は怖いですからね。

そう考えると挨拶というものは、

便利な道具です。

4 件のコメント

  • 職場でせっせと挨拶をしていたらかなり年上の男性から「いい大人なんだからいちいち元気に挨拶しないでくれ、恥ずかしい。俺はしないから」と注意?されたことが。
    いい大人じゃなかった私はその方が異動になるまで挨拶攻撃し続けてしまったのでした(笑)
    このブログを読んでそっとしておいてあげれば良かったと思いました。

    • いろんな人がいますよね。
      まー詳しくはわからないのでなんとも言えませんが、
      人それぞれだと思います。

  • こんばんは。

    私は挨拶が大切だと思います。ブログの内容に納得できます。私も小さい頃、親や学校の先生によく言われてました。その時は、めんどくさいなぁ、って思っていましたが年をとるにつれ挨拶のありがたみが分かるようになりました。今では自分から進んで言っています。

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