木魚の曲打ち用バイがお寺にきたのでさっそく動画で叩いてみた!

どうもおしょうです!

今日は前回若干、好評だった、

曲打ちシリーズの続編を紹介したいと思います!

 

まーまずは動画の方をご覧下さい。(^^)

 

ちょっとマニアックな内容なのですが、

木魚だし、バイの叩き方だし、

わりと他分野でも共通しているところもあるので、

わかりやすい内容だったのではないでしょうか?

 

木魚にも太鼓みたいに叩き方があるんだなぁっと。

 

でまぁー今回は、

木魚の音を中心にとっていますので、

お経の声は聞こえにくいですが、

普通に法要などで聞けば、ちゃんとお経の声も聞こえたりします。

 

あと、木魚を叩く人って、

叩くことに半分集中しているから、

どうしても通常よりも声が小さくなっちゃうんですね。

 

読むだけなら声張ればいいだけですから。

 

なので、

実際にどうなのか?

というのは法要を聞きにいかれたら一番わかりやすいかなぁと思います。

 

音に関しては、

もうコレは好みの問題ですね。(^^)

通常のポクポク叩く音が好きだという人もいれば、

曲打ちみたいに軽くて激しい音が好きだという人も

いたりするので。

 

あ、ちなみにですが、

誤解がないようにいっておきますと、

お葬式などでは曲打ちはしません。笑

さすがに厳粛な場で、リズミカルに叩くことはないです。笑

あくまで法要がメインてことですね。

 

法要はだいたいお祭りに近いので。

お祭りも神輿担いで地域の神や自然、先祖に感謝して

供養をすることですから、原点は同じだったりします。

 

なので、木魚の叩き方も

多少お祭りっぽく変わってくるわけです。

 

まー現代人からみたら古臭いかもしれませんが、

昔はコレが最先端のものだったんですね。

鳴り物や装飾、歌を用意して祝うと言った感じ。

なので、

逆に言えばとてもシンプルだといえます。

無駄なものがなく、

必要最低限のあるもので行うと。

その中で祝いや感謝を表現したんですね。

 

そういうあり方を見ると、

祝いや感謝などなにもたいそうなものがなくても、

今あるものだけ今すぐにでできるのだよっと教えてもらうことができます。

 

あれがあったらやろうとか、

あれをやったらやろうとか、

あれが無いからやらないとか、

明日になったらやろうとか、

 

そんなことはなくて、

足元を冷静によく見れば今できることが

あるんじゃないか?と教えてくれているわけです。

 

「いま、を生きる」

という言葉がありますが、

仏教では「切に生きる」ともいいます。

切に生きるとは目の前のことを大切に生きるということですね。

なので、

「今」を生きるということは、足元をもう一度よく見てみて、今できることをやる。

そういうことなのだと思います。

 

あれはまだできない、

これはまだやらない、

もう少し〇〇になったらやる、

 

というものを一度、「本当にそうなのか?」

っと自分を疑ってみるといいかもしれませんね。

案外、自分の思い込みだったりしますので。

 

ということで、

話しはそれてしまいましたが、

曲打ちの動画をご覧ください。(^^)

また、評判が良ければ続きをアップしたいと思います。