どうもおしょうです!
お寺のある地域では
毎年3月のはじめに地元の薬師如来にお参りするという行事があります。
地域にある3体の薬師如来を
ご近所さん同士でお参りするというものですね。
そこにお坊さんが来て、
拝むのですが、まさに写真の場所がそれです。
こじんまりとした小さなお堂に、
防寒対策用の白幕をはり、横から入る。
(人がいるところですね。)
そこに4畳半のスペースがあり、
薬師如来さんが中央で祀られているんですね。
普段は閉ざされているところなので、
もう外から見たら、一見「小屋かな?」って思ってしまうほど。
でも、なかには立派な仏さんがいる。
こういう場所ってみんなが知らないだけで、
各地のそこら中にひっそりと佇んでいたりします。
僕はこれを見て、
つくづく思うのですが、「よく盗まれないな」と。
賽銭泥棒とかはよく聞くんですが、
(最近は建設資材泥棒というのが近くでありました。笑)
仏さんを盗んでうんたらかんたらっていうのは、
あまり聞いたことがありません。
あるとすれば数年に1回程度。
こんな無防備に、壊せば入れそうなところに、
高価な仏像が置かれているのに、不思議だなぁ~って思うんですね。
まー盗んだら盗んだで、
仏像なんかは特定されやすいから、
あれなのかもしれませんが。。。
でも、
こんな人々の生活に溶け込むように
当たり前のようにあるっていうのは、
日本が平和なんだという証拠なのかもしれません。
売り飛ばさなくても、
ちょっと本気をだせばイタズラなんかできますからね。
それでも、
そんな話しを聞かないというこのは、
やはり不思議なものですし、
仏という存在が人にとって特別なものなんだなぁと思います。
普段、存在感は薄いのに・・・笑
で、
ここの薬師如来さんも、
普段は存在感なくお堂の中にいるんですが、
聞くところによると最澄が彫ったものではないか?
というのが浮上しているんですね。
「まさか!こんなところに!?」
っていった感じですが、
こういうのは知らないだけで、よくあったりするわけです。
本堂を掃除してたら、
絵巻物が出てきて、重要文化財級のものだったりね。
これは数百年と歴史があるものならではのこと。
ただ、逆にいえば、
歴史がある分、わからなくなるということも当然あったりします。
記録が残されていないとかね。
そうなると他の関係する
記録がない限り永久にわからなくなったりします。
なぜそれがそこにあるのか、
わからないまま、永久にそこにあると。
どうあがいてもわかりませんからね。
もうドラえもんを呼ぶしかありません。
ドラミちゃんでもいいです。
呼ぶしかありません。
・・・・
はい。
で、
そんなミニドラがくるなんてことは
ありえないわけで、
そう思うと、記録をするというのは、
大事なことなんだなぁと思います。
どんな小さなことでも、
今はどうでもいい記録でも、将来は貴重な記録になる。
なぜなら、もうそこには一生、
戻ることができないのですから。
その時のことが欲しくても、一生手に入りません。
だからこそ、
こういうお堂を見るたびに、
どんなものでも記録は残さないとだめだなって思うんですね。
それが自分のためでもあり、
後を継ぐ人のためだと思っているので。
結局そういう視点に立てるかどうかは、
自と他のつながりを意識しているか?ということですね。
自分ごとしか見えていないと、
なかなかこういう視点には立てないものです。
どんなことでも記録に残す。
それは、メンドクサイことかもしれませんが、大事なことだったりもします。
仏教的にいうと、
得るというよりも与える(記録で)というころですね。
そう、名もなきお堂が伝えてくれています。
追伸:
あー本当に最澄の彫ったものだったらどうしよー笑
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