無くすゼイタクな時間からわかる捨てる手放すという人のあり方

どうもおしょうです!

写経はどこでやるか?

というのが大事だったりします。

 

というか、「写経」というものに、

どこでやるか?いつやるか?というのが、

含まれているということですね。

 

なので個人的には写経はお家で

やるよりもお寺でやられることをオススメしています。

 

モノだけだとお家でやることも

可能ですが、写経をするっていうのは、そういうことだけじゃないんでね。

 

そういう物理的な視点じゃなくて、

目に見えない体験の価値というのも、

知ってもらえればと思います。

 

とはいえ、

お家で写経するのを否定

しているわけではないので、誤解の内容に。

 

お寺でやるのと、お家でやるのでは

また違ってくるということですね。

 

で、

最近では春になって暖かくなってきた

ということで、

縁側での写経をまたやり始めました。

 

寒い時期はどうしても縁側が寒いのと、

日が落ちるのが早いので、暗くて

本堂の中でしかやらなかったのですが、

最近は暖かくなってきたということで、またやり始めたということですね。

 

目の前の田園風景を見ながら、

お香の香りを嗅ぎ、写経をしてもらう。

 

ただそれだけなんですが、

その静寂さがまた濃厚で贅沢な時間だったりするんですよね。

 

あえて空白の時間を過ごす。

 

なにも得ることだけが全てではなくて、

無くすことも一つなんだよということを

伝えてくれています。

 

仏教はよく捨てるということを

教えの中で言われていたりします。

 

手放しなさい、捨てなさい、諦めなさいと。

 

そう、人は己の不安から、

貯めると安心するという思考を持っていたりします。

 

それは今から始まった話ではなく、

人類が誕生して脳が発達し、

生活をし始めたころ。

 

生きていくために、

食料を貯める保存するということを、

命を守るためにやりはじめたんですね。

 

その命を守るために、

貯める、保存するというのが、

僕たちのDNAの中にも組み込まれていて、

どうしても

「貯める=安心」

「失う=損をする」

という思考になってしまうんですね。

 

なので、

こんなに社会が豊かになって、

野垂れ死ぬ人がほぼいない社会になっても、

貯めないと不安だという気持ちがつきまとうわけなんです。

 

だから、貯めよう、得ようっていう

発想になっちゃうのですが、

 

それは時として、

過剰に得よう、貯めようして、

自分を悩ませる原因にもなっていったりします。

 

それが仏教でいう所の執着ということですね。

 

執着すればするほど、

それに固執するわけですから、苦しみます。

 

それは自分にとってプラスに働く

良い時もあるのですが、

余計なことに執着して、

本来悩まなくてもいいことに悩んでしまったりします。

 

だからこそ、

一度手放し、捨てることによって、

本当に必要なことなのか?

大事なことなのか?というのを考えることも大事なんですね。

 

で、

だいたいの場合は、

意外と捨てると、どうでもよくなったりします。

 

「なんで固執してたんだろう?」って。

 

お金を貸す時に、

貸すんじゃなくて、あげる気持ちで貸せって

いうのがあると思うんですが、まさにあんな感じ。

 

貸すというのは、

自分のものだから返せというのが含まれます。

 

一方あげるというのは、

自分の手から手放すので、

気持ち的に返ってこなかったとしても、どうでもよくなるんですね。

 

そんな感じで、

捨てることによって、

見えてくるものがあるということです。

 

というか、捨てないと見えない

といってもいいかもしれません。

 

なので、

お寺の体験ではあえて、

得る時間じゃなく、無の時間というのを体験してもらっているんですね。

 

無くすから余計なことに縛られず、

本来のシンプルな姿というのを感じてもらっているということです。

 

それこそが無くす贅沢な時間。

 

そういう無くても事足りているんだなって

わかると、それが自分にとっての安心にもつながりますからね。

 

これだけで本来は十分なんだって。

 

それがわかれば、

無駄に悩んだり不安になることはないですから。

 

とはいえ、そんなことをいうと、

最小限のもので生活するのがいんだ!

贅沢はよくない!

と思われるかもしれませんが、

 

そういうことではなく、

最低限「これくらいで足りる」というのを

土台として知って、そこから普段の生活を積み上げていくというものですね。

 

そのボーダーラインを下回らなければ、

それ以外はどうでもいいことだっていう、安心感につながるということです。

 

無くすを知る。

 

あえて無を感じる時間というのは、

現代生活をしていて、

なかなか体験するのが難しかったりします。

 

なので、

そういう強制的に作ってくれる

所に自ら飛び込んで見るというのも、

手っ取り早く経験するには良かったりしますよ。

 

ぜひ無いことで知る贅沢な時間を

感じてもらえればと思います。


●お香のショップをやっています。

新しいものも日々増えてきてますので要チェック!

落ち着きたい時や、集中したい時、気持ちを切り替える時なんかに、

お香をぜひどうぞ。

https://enjya.theshop.jp/

●不定期ですがメルマガやってます。

ブログよりもお寺の教えについて話しています。

あと、ココだけの話しも。笑 よろしければどうぞ!

https://oshow.biz/wp/oteramagazi