慣れることはボケのはじまりでもある?慣れの良い所と悪い所の話し

どうもおしょうです!

先日までお彼岸ということで、

この時期恒例の京都に行ってきました。

 

京都のお寺の法要で、

役僧として出るということですね。

 

そんな感じで、最近は毎年、

お盆とお彼岸と京都のお寺に行っています。

 

個人的に勉強になるのが、

地域の違うお寺に行くことで、学べるものがあるということ。

 

普段同じ地域で、

同じお寺同士、お坊さん同士で

過ごしていると、良くも悪くも慣れてきて、

自分たちのやっていることが客観視できなかったりするんですね。

 

その点において、全く違う地域の

お寺に行くというのは、

自分の視野を広げるという意味で、良い勉強になったりします。

 

これはお寺以外でもそう。

普通の社会においても同じことが言えたりします。

 

毎回同じ人同士、同じ場所、

同じ行いをやっていると、

人はどうしてもボケてしまうんですね。

 

要は慣れた生活なので、考えなくなると。

 

それは自分自身を客観視する

ということができなくなってきます。

 

僕もお坊さんとしてお寺に

戻ってきてから6、7年経つわけですから、

徐々に徐々に慣れてきてボケていっています。

 

この流れはどうしようもありません。

慣れは良い面もあれば、

自分や環境を客観視できなくなるという、

マイナスの面も持ち合わせています。

 

だからこそ、たまには、

外の世界に出かけて、

今の自分の立場、環境を客観視する必要があるんですね。

 

その点において、

年に数回ある京都のお寺に出かける

というのはちょうどいい刺激になったりします。

 

自分のお寺だとみんな知り合いですし、

ホームですが、

京都のお寺に行けば、僕のことを

知らない人だらけなので、ほぼアウェーですからね。

 

同じ宗派といえども、

地域が変われば、やることも微妙に違ったりします。

 

今までとは違う環境に行けば、

人は考えるようになるので、

こういう環境というのは有り難いものです。

 

同じ環境にいれば、人はボケてくる。

 

これは町も同じだと思っています。

 

いきいきして活発な町というのは、

人の出入り、流れがあったりします。

 

逆にいきいきしていない町というのは、

人の出入りが少なく、流れも停滞気味だったりします。

 

これは人も同じだなと。

自分自身もいきいきと若々しく

生きていくためには、

自分の脳の新陳代謝が必要だったりします。

 

時代に考えが合わなく人というのは、

結局のところ、この新陳代謝が

出来ていない故に、起こることなのかなと。

 

考えが若い年配の人って、

たいがい若者と交流があったりしますからね。

 

自分も慣れた環境にいればボケてくる。

そういうことを思って、

新しい環境にあえて飛び込んでも良いかもしれません。

 

ボケてくると、そこで成長は止まるので。

成長が止まると、未来の可能性も無くなっていきます。

 

同じ環境、慣れ親しんだ人と、

過ごすのは楽しく、楽なのかもしれませんが、

一方で自分をボケさせている一面もあるということですね。

 

たまには、自分に新陳代謝を起こす

意味で新しい環境に身を置いてみても良いかもしれません。

 

それによって、

また見えてくることもあるので。

 

色即是空 空即是色ですね。


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