
どうもおしょうです!
前回、あーだこーだ言っていた手押しポンプの件ですが、
なんか直ったみたいです。笑
簡単に言うと業者の方がきて直してもらったんですね。
やっぱなにごとも「こうしたい!」ってみる粘るものです。
うららーーーっと。笑(意味不明)
とまーそんな感じで、かなりどうでもいいことですが、
お寺の手押しポンプが直ったよっという話しですね。
ちなみにもし、
手押しポンプが壊れて困っている人(あまりいないと思いますが・・・笑)
がいれば、今回の件ぐらいですが、アドバイスが多少できますので、
コメントかメッセージをいただければと思います。
ほんと、手押しポンプを直す情報ってあんまないので。
お力になれればと思います。
で、
最近友達と話していて、
その時に驚かれたことが「お坊さんも悩むんだ」っということです。
どうやら友達は
お坊さんは悩まない生き物だと思っていたらしく、
悩みがあることが意外だったらしいんです。(どんなイメージだ。笑)
でもまー、
わからなくもないっちゃわからなくもないんですね。
どことなくお坊さんって完璧人間みたいな人だと思われがちですから。
常に凛としていて、涼しい顔をしている感じ。
そう思われるのもなんとなくわかります。
なぜなら、
普段お坊さんと関わることもないですし、
関わるとしても各メディアでパッケージングされたものでしか、
触れ合うことがないですから、
そういうイメージを持たれてもしかたないなぁっと思います。
ただ、
お坊さんも人間。
ふつーに悩みます。
うじうじします。
で、
それが当たり前だったりします。
でも、その友達と僕とでは悩みの受け取り方がちょっと違うかもしれません。
どういうことか?
これはそれぞれのお坊さんにもよるのですが、
僕の場合、仏教とは当たり前を受け止めるものでもあると思っています。
(個人的にこれを凡人仏教っといってます。
超人の仏教ではなくて、凡人のための仏教ってことですね。)
つまり、悩むのは当たり前でそんな自分を受け入れるということです。
それにたいして無駄に自分を責めないというか、そんな感じです。
でも、
その友達のニュアンスからいくと、
どこかに悩まなくてもいい秘密のモノがあると、
どこかで思っていたするんですね。
なんというか、悩んでいる自分はイケないっとどこかで思っていると思います。
それで、
お坊さんぐらいになったら、それはないだろう的なことを。
だから、お坊さんが悩むのが意外だったんじゃないのかなーっと思います。
これはまさしく誤解で。
実は逆、
仏教では凡人だからこそ、生きていて悩むことは当たり前と伝えているんですね。
その悩みを受け入れてどう生きるか?
そこを伝えているわけです。
これはごくごく当たり前のことなんですが、
僕たちは社会の常識とやらに縛られてついつい忘れがちになってしまいます。
(というか、イケないことと教えこまれる)
そんな感じで、
仏教は超人になる教えじゃなく、
当たり前のことは当たり前に受け入れようっという、
僕たち凡人のための教えということですね。
ちなみにその友達の場合は、
もしかしたら、悩むとは?人間とは?悩みを良くするということは?
という問いを自分自身に深く投げかけていなかったのかもしれません。
悩むのは当たり前、人間ですから。
問題はそれをどう受け止めるかということですね。
これを仏教を作ったお釈迦さまは、
一切皆苦(いっさいかいく)
といいました。
要はこの世は苦しみだ。っと言ったわけですね。
苦しんで当たり前。
あとはどう受け止めるかということです。
ちなみに
おしょうはしょっちゅう悩んでいます~笑
煩悩バンザイ!(^O^)/
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