お坊さんから見た!お墓参りから見えてくる描かれない人間ドラマ

どうもおしょうです!

ぷは~

今日もお寺巡りの記事を出そうと

思ったのですが、

あいにく今日は京都のお寺に

お墓参りの手伝いに行っていたということで、

若干疲れておりまして、また後日に延期することにしました。笑

 

意外とお寺巡りの紹介って、

話しが長くなるし、エネルギー結構使うんですよね。笑

 

それで明日も早いということで、

今日は短めのお話しをしようかなと思います。

 

まー先ほどもいったように、

この時期になると京都のお寺の方にも

ちょくちょく行っていまして、

お墓参りの手伝いもその一環としてあるんですね。

 

やることといえば、

お参りに来た人に挨拶をして、

その人のお墓でお経を読むというもの。

 

シンプルなことですが、

これが何十人と続くと意外ときつかったりします。

 

そして京都のお墓参りというのは、

ある程度日にちが決まっているらしく、

今の時期はたいがいどこもお墓参りをやっているらしいのです。

(宗派によるかもしれません。)

 

なので、府内で人手を借りることができないので、

県外からこうやって助っ人を読んでいるということなんですね。

 

で、

最近は体験の時などによく例として言うのですが、

お墓って歴史がある分、

そこに関わる人間模様みたいなのも、

でていたりするんですよね。

 

立派なお墓が建っていると思っていたら、

実はそこはもう誰もお墓参りする人がいないとか、

謎にお墓参りだけして、

お坊さんに顔も合わせずに

なにか訳ありな感じでそそくさと帰っていく人とか、

とりあえず参っているだけの人とか、

 

まーやることはお墓にお参りするだけなんですが、

その裏には描かれない人間模様みたいなものが、

見えてくるわけなんです。

 

こそこそ訳ありな感じで来てるのに、

お墓参りだけはちゃんとくるんだなぁーとか。

不思議なものがあったりします。

 

そんなときに、

お墓参りってなんなんだろうなって、

考えさせられるんですよね。

 

知り合いにバレたくないけど、

めんどくさいけど、行く。

 

まーそこには世間体とかもあるんでしょうが、

それだけじゃない気もするわけです。

 

見ててみんなちゃんと拝んでますしね。

 

やっぱりそこには、

なにかしらのドラマがあるんだと思います。

 

ただ、お墓を参るということなんですが、

そこにはいろんな人のドラマがあり、

心情があるということですね。

 

そのことをお墓は、

ただただ黙って年数という時を経て、

語ってくれているような気がするのです。

 

むしろ参る人にとっては、

ただただそこにずっとあるから、いいのかもしれませんね。

 

向き合う場所、自分が立ち戻る場所というのが、

お墓にはあるのかもしれません。

 

僕はただ、それにより添うように、

お経を唱えるだけです。


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