どうもおしょうです!
いや~先日言っていた、
白川密成さん原作の映画「ボクは坊さん」を
京都あたりに見に行こうと思っていたのですが、
意外とやっていないんですね。
もしかしたら行くのが遅かったのかもしれません。
ほとんど早朝などの限られた時間ぐらいしか
やっていないので、ちょっと困ったなぁっと。笑
大阪あたりはまだ数件映画館でやられている
みたいですが、ちょっと遠いし映画みるだけに
行くのもなんなので、DVDで見ようかなと思っている今日この頃だったりします。
しかしまー
映画館もあまりいかなくなりましたね。
田舎育ちでそういう習慣もないということもあるのでしょうが、
昔に比べていかなくなったような気がします。
最後に言ったのがおととしあたりに、
宮﨑駿監督の「風立ちぬ」を見に行った時ぐらいで、
ほぼ足を運んでいなかったりします。
理由は特に映画館で見なければいけない
という理由がないからという感じなのですが、
どうなんでしょう?
映画館で見る良さってなんかあるんですかね?
とまー
そんなことを思いながら今日は、
土日ということもありお参りがございました。
で、
おしょうの地域では法事などのお参りの際に
ちょくちょくお参りに来られた方がお米を袋に入れて
持ってくる習慣があったりします。
ので、写真の色きらびやかなのは、
袋なんですね。
近所の方は基本一家に一袋は持たれていたりします。
で、
この米はお参りした後、
仏さんに朝供えるご飯として使わせてもらっているのですが、
なぜこんな習慣があるのかというと、
おしょうのお寺の周りには農家をもともとやられているところが
多く、一家に田んぼや畑を1つ持っているという家が多かったりします。
そして、
昔は今みたいにお米をスーパーなどで
すぐに買えるものではなく貴重なものとされてきました。
なので五穀豊穣や収穫の感謝を
表すために仏さんに収穫されたお米の一部を供えるという
習慣がはじまったわけですね。
要はお布施です。
お布施と聞くと、お金をイメージしがちですが、
本来はお布施というのは、読んで字のごとく
布を施すことからはじまったと言われています。
いったいなんの布だ?
といった感じですが、
これはお坊さんが着ている袈裟といわれる
布のことですね。
日本のお坊さんを見ると、
色きらびやかで豪華なモノをつけている印象ですが、
もともとは家にある余った布などをお坊さんに差し出し、
その布をお坊さんがパッチワーク形式でつなぎ合わせて、
自分の服としていたのが始まりだと言われています。
それが転々と国を渡り、時代が経っていくうえで、
今の形式になっていたりするんですね。
で、
そういうと、お布施というのは、
なにかモノをあげることなんだと勘違いされそうですが、
実は違ったりします。
もともとは布施行という、
仏教においての修行の1つなんですね。
それが今では形式だけが残り、
お布施=お金みたいになっているのですが、
もともとは修行の1つだったわけです。
どういう修行かというと、
自分とは違う誰か(生き物)に
なにか自分が持っているものを与えるという
修行なわけです。
で、与えると言っても悪いことではなく、
相手のためになるもの。
喜ばれるものを差し出すというものです。
つまり、相手のことを思うということですね。
これを「利他行」ともいったりしますが、
そういうことです。
で、
それにはモノ以外にもいくらでもあると
言われています。
笑顔で挨拶するのもそうですし、
お客さんにお茶をさしだすのもそうですし、
誰かを励ますのもそうですし、
ありがとうっと声をかけるのもそうですし、
わからないことを教えてあげるのもそうです。
相手のことを想い気づかうというのが、
布施行なんですね。
で、それは
「自分がこんなにしたのに」
「こんなことをしてあげた」
という恩着せがましいことではありません。
そこには、
相手のために見せかけて自分というものに
心が向いているからですね。
なので自分が期待していたのと、
違った反応をされると怒ったり、ムカついたり、
するわけです。
相手のせいにするというやつですね。
それは布施行ではありません。
布施行というのは、
相手に自分が思ったとおりの反応がなくても、
相手を責めずに自分に問いかけるということですね。
そして、
そもそも他人を100%コントロールするのは
無理ですからそこを考えても、
自分の有限な時間とエネルギーを無駄に使うだけなので、
本人的にもよくありません。
それよりも、
次はどうしたら良いだろうか?
と考えたり、
仕方がないことと割りきった方が、
相手のためでもあり自分のためでもあったりします。
どうしても生活環境が近かったり、
関係性が近かったりするとついつい視点が狭くなって、
見落としがちですが、
そういう時こそ一歩距離をおいて問いをたてて見られると
いいかもしれませんね。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉がありますから。
もしかしたらここが一番難しいのかもしれません。
ポイントしては近すぎて知らず知らずのうちに、
そうなっているということですね。
ついつい気づいたら、
そうなっていることがあるので、
僕自身も気をつけていることだったりします。
近すぎたらほんと自分を俯瞰して見ることが
できなくなりますからね。
気をつけたいところです。
ということで、
お布施というのはお金というものに
思われがちですが、
それだけじゃないんだよという話でした。
ちなみにお金などの自分の財産を渡すというのは、
「財施(ざいせ)」という布施行の1つだったりします。
現在はお金を主として世の中が回っていますから、
時代の変化とともにそうなっていたんだと思います。
言い換えるなら寄付みたいなものですね。
あ、そうそうもう一つ言うと、
なぜお布施の値段が決まっていないのかというと、
人それぞれ生活環境が違いますし、
価値観もバラバラだったりします。
なので、お布施のどれぐらいの価値かというのは、
あなたが決めて下さいね。
という意味合いだったりします。
要はあなたに問うているわけですね。
あなたにとってこれはどれぐらいの価値があるのか?
ということを。
これもまたモノをよく見るという修行の1つだったりします。
とはいえ、
値段がわからないと「どうしたらいんだ?」と困りますし、
もののやり取りにおいて不便ですので、
だいたいこのぐらいという相場は地域によって
あったりします。
ただ、
お坊さんがお布施の値段をはっきり言わないのには、
そういう理由があるんですね。
要は布施行というのは自分にたいする
問いかけから始まるんですね。