川口晃範(かわぐち・こうはん)
通称:おしょう
1987年6月2日生まれ。
滋賀県高島市の500年以上続くお寺、西音寺の子として育つ。
(姉二人、男一人の三人兄弟の末っ子長男)
・9歳で得度
・高校から大学の学業の傍ら、本山にて修行、勉学を行う
・28歳の時に本山にて僧侶の教師資格を授かり現在に至る。
現在:西音寺副住職、他寺院にて役僧、西音寺お寺体験運営責任者、
オーダーメイドお香制作、お坊さんが選ぶグッズ専門店「縁者」を運営、
精進デザート研究家、不定期のお寺イベントの主催(ヨル寺カフェ、お寺ヨガなど)
その他、個人の活動及び西音寺のウェブメディア制作と運営なども
自身の手で行っている。
2016年に総本山の大法要にて、木魚の曲打ち師としてデビューする。
どうもはじめまして、
川口晃範ことおしょうと申します。
このブログにお越しくださりありがとうございます。
現在滋賀県高島市にある500年以上続く歴史のあるお寺、
西音寺にてお坊さんをやっております。
ただ、お坊さんといっても酒もタバコもやります。
(もちろんマナーや節度は守りますよ!)
それを聞かれたら、
「なんだナマグサ坊主か・・・」っと思われるかもしれません。
まーそれはそれで仕方ないことです。
それ以上でもそれ以下でもないので、
そういわれても仕方ないことだと思っています。
ただ私はこういう人間ですので、自分が変わろうと思わない限り、
変わるつもりはありません。
誰かに決められた価値観で自分の人格を否定するのは嫌なんですね。
正直、お酒も飲む、タバコも吸う、女性も普通に好きとここで公言するのは、
怖いモノです。
お坊さんがそれを言ったら嫌われるんじゃないか?
誰も相手してくれないんじゃないか?
っとビクビクしております。
ただ、
先ほども言ったように、それが自分。
それを無くして自分は語れないのだと思いました。
(僕のことを好きでいてくれる人に失礼ですからね)
なので、
隠さず話すことにしました。
コソコソするぐらいならもう言っちゃおうと。
それ以上でもそれ以下でもないので、それで嫌われたらそれはそれまでです。
で、
ここでなぜ坊主になったのか?
という疑問がでてくると思います。
だってそうですよね?坊主にならなければ、
酒やタバコをやろうが、マナーさえ守っていればとやかく言われることはありません。
一般常識の範囲内でなんでもやっていいですからね。
僕からすれば一般の生活をしている人の方が
よっぽど自由だなぁと思っています。
じゃーなぜとやかく言われやすい坊主になったのか?
それは僕の過去にさかのぼります。
そもそも僕は坊主が嫌い、お寺が嫌いの人間でした。
生まれた時から寺の跡取りとして見られ、
周囲から「将来はお坊さんね」「亡くなったらお経あげてくれよ」
と価値観を押し付けられることが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
本人たちは悪意はないのでしょうが、小さい頃の自分にとっては、
「お坊さん」の自分が良くて、「お坊さん」以外の自分はイケない奴なんだ、
それ以外の自分は否定されているんだと思ったんですね。
まだ小さいですから、僕にも将来こんなことしたい!
こんところ行きたい!こんな仕事がしたい!
という誰でもみんなが昔は持っていた、夢というのを持っていました。
それが「将来はお坊さん」となると、
それらの夢が否定されている気持ちがして嫌だったんですね。
普通に純粋に夢を語っている周りの友達が羨ましく感じました。
だから、
自分の意と反するそんな人生は嫌だ!と思い、
大学進学を理由にお寺をでていったのです。
二度と戻ってくるものか!っと。
※大学当時の写真
そんなこんなで、寺から逃げてたまたま行った大学は、
キリスト教系の大学!!
南無阿弥陀仏の代わりにアーメンを!
仏の代わりに十字架を!
お経の代わりに讃美歌を!!
なんてこった。
オーマイゴッド!!笑
まーそこらへんは持ち前のノリと、
お寺以外だったらなんでもよかったので、
讃美歌を熱唱しましたよ!笑
いやーなんの因果かわかりませんが、
こういうことってあるんですね。
ということで話は戻り、
今までのうっぷんを取り戻すべく、
大学生活ではハッチャケテいたんですが、
大学進学後もお寺の因縁は途絶えることなく、
大学休みになると総本山の方へ修行にいかされていました。
※中央コマネチしているのが私です。
※髪が長くてラフな格好をしているのは、勉学の学校の時のため。(勉学は髪形ある程度自由)
写真でも見てわかるとおり、
修行に行くといっても、お寺に反発していましたから、
完全に舐めきってふざけてました。その証拠がこの写真ですね。
(もちろんふざけるだけでは怒られるので、やるとこはちゃんとやってましたよ!)
やることはやる反面、
心は舐めていたといった感じですね。
そんな感じで大学生活の休みの期間は、
嫌々、総本山で修行をしておりました。
ちなみに、
お寺からの反発もあってか大学の傍ら、当時華やかで楽しそうなテレビの世界に
憧れて、某俳優養成所にて俳優の卵みたいなことも約4年間やっていました。
この時の経験が今の自分のモノ作りのスタンスの原点だと思います。
大学卒業後は、やはりお寺に戻りたくない、
かといって定職について安定を目指す的な発想もありませんでした。
(それなりの成功しなければお寺を継がされると思っていたため。)
なので、俳優になる!とそれっぽいことを言って、東京に上京。
しかし、そもそも俳優になるのはスターになりたかっただけなのであって、
いつ売れるかどうかわからない俳優の世界で腰を据えてやるといった思いはありませんでした。
なので、
上京と同時に迷走。
自分がなにがしたくて、なにがやりたいのかがわからなくなり、
そして、俳優になる!っと友人に啖呵をきって出てきたわけですから、
それをいとも簡単に破る自分自身の自己嫌悪で、心の中がぐちゃぐちゃになりました。
なにも心が定まらず、アイデンティティの崩壊です。
バイト以外はほぼ家で寝て時が過ぎるのを待つか、意味不明に散歩してました。
そんななにも積みあがらない日々を過ごし、
様々なことを思い付きでやりはじめてはやめ、やりはじめてはやめ、
を繰り返していた頃、ひょんなことからとある経営者の方と出会い、
自分自身と向き合うということを教えられました。
そして、そこでお寺から逃げるのではなく、一つになるのだということに気づいたのです。
お寺は自分を語る上で切っては切り離せないもの、
その切り離そうと隠したモノは自分の片割れ、それなくして自分は自分ではない
ということに気付いたのです。
だからこそ、お寺と一つになり、
既存のお寺のルールにひかれるのではなく、
また自分のエゴで逃げるのではなく、
第三の道を作ろうと思いました。自分なりの仏教、お寺というものを。
そう決め、当時住んでいたボロイ6畳のアパートで、
小さいながらも、改めて僧侶になる儀式っぽいことを行いました。
汚らしい写真ですが、当時はこれで精一杯なんですね。笑
そして二度と戻るか!と思った、
お寺に再び戻ることに。
僕の活動はお坊さんとして仏教を伝えることですが、
それはたまたま生まれたところがお寺で、たまたまお坊さんをやっているだけのこと。
その中で自分のできること、やりたいこと、やれることを活動として表現しているにしか
すぎません。
なので、自分自身の伝えたいことは仏教よりも、
いつだってどこだって
自分しだいでなんでもやれるし、なれる。
ということをあなたに伝えたく小さなお寺を軸にしてやっております。
昔、渡辺和子さんのベストセラー著書のタイトル、
「置かれた場所で咲きなさい」
まさにそれをやろうとしているのかもしれません。
自由は自分の中にあるということを。
そしてそれは、本来、仏教の教えにも通ずること。
そんなお坊さんがお寺という伝統を受け継ぐ中で、
学び、今に通ずるものを伝えていく。
まだまだ道半ばで足りないところだらけですが、
そんなお坊さんが
このブログでお寺な話しをお送りしています。
僕自身がお酒を飲むのも、タバコを吸うのも、
本当にそうなのか?を考え、
排他的ではなくつながるものを伝えたいからです。
なぜなら僕たちはそういった経験の積み重ねで、
今の自分とセカイが出来上がっていると思うからです。
それは本来仏教の縁起的な考え。
だから、なんでもありでなんでもいい。
全てはつながっているからこそ、
その他を含めて知ることに仏教があると思うのです。
表面的な偏見をするのではなく、
やってみる、知って学んでみる、そこからしか語れないものってあると思うので。
だからこそ、私は無宗教な坊主でありたいと思うのです。
最後に
こんななんの特別なものもない凡人坊主ですが、
このブログやおしょう自身を通して、
共に学び成長していければと思っております。
その為に、私はあなたに凡人なりの仏教というものをお伝えします。
今日も小さく、セイチョウしていこう。
おしょう