どうもおしょうです!
4月のはじめはうちの総本山で、
毎年大法要があります。
ただ、今年はコロナの影響もあり、
僧侶のみの法要となりました。
(とは言っても一般の観光客の人が来ていましたが。笑)
僧侶のみの法要というのは不思議なもので、
まーもともとお参りの人が少ない法要だったんですが、
(こんな事言ったら怒られるか。笑)
いつも以上にお手伝いの方やお参りの方がいないと、寂しいものがあったりします。
まーお参りの人もほぼ無い事だし、
気楽にいこう!みたいな
ちょっとした気のゆるみもあったりします。
そう考えると、お参りの人がいる事によって、
普段の法要が成り立っているという事が言えたりします。
誰かが見ているから頑張れる。
誰かの為になっているから、頑張れる。
やる意味がある。
そう思えてくるんですね。
例えるなら、ミュージシャン。
ミュージシャンの方も
田舎の田んぼの真ん中で、ライブをやっていても、
「何やってるんだろう?」って気持ちが入らないと思います。
ほぼ観客0なわけですから。
ライブをやる事自体が、滑稽に思えてきます。
ではもしこれが、
日比谷公会堂で2000人ぐらいの
ライブをやるという事だったら、
力の入り方が全然違うと思うんですね。
モチベーションがガンっと上がると思うんです。
つまり同じライブをやるとしても、
誰かがいるかどうかで、変わってくるという事です。
そしてミュージシャンのライブも、
誰か聞いてくれる人がいるから、
成り立っているという事が言えたりします。
これはお寺の法要でも同じこと。
誰かが聞いてくれる、見てくれるというのは、
有難いことなんだなぁと思います。
坊主だけでお経を唱えていても、
己の修行としては良いかもしれませんが、
社会としては意味のない事だったりしますからね。
誰かの為になるから、坊主も頑張れるわけです。
そして、もっといいお参りにしようと思えるわけです。
また自分を律する意味でも、
誰かの目があるから自分を律せれるわけです。
芸能人がなぜ歳をとっても見た目が若いのか、
清潔でキレイなのかと言うと、
誰かに見られている意識があるからです。
逆に人の目を感じず生きている人は、
見た目も生活も堕落していく感じになります。
そんなこと言って、
芸能人は不祥事が多いじゃないか!
と言われるかもしれませんが、
僕からすれば、一般の人の方が
人には言えないことをやっていると思っています。
芸能人はその影響力から
ニュースが大きいだけで、
実際の数を見ると、圧倒的に一般の人の方が多いと思います。
だから見られる意識というのは、
自分を律する為に必要なことでもあったりします。
会社の目があるからみんな真面目に働くわけで、
会社の目が無ければ、サボっていたりするわけです。笑
そんな感じで、
誰かがいるというのは、
僕たちが社会生活を送る上で、大事なことだったりするんですね。
なので僕自身なにかをやる時は、
必ず誰かのことを考えたりします。
極論誰かの為にならなければ、やりません。
そんな事を今回の大法要で、改めて痛感しました。
誰かがいるというのは、本当に有難いことです。
自分だけで満足していても空しいだけですからね。
そんな有難みを感じながら、
これからのお寺のことを行っていこうと思います。
コロナで通常通りできませんが、
それでも誰かの為にお寺があればと思います。
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