数百年前の農民から学ぶ地をたがやし実りを味わう習慣の話し

どうもおしょうです!

さー11月も中旬ということで、

寒くなってきましたね。

 

こんな時期は個人的に、

改めて自分を見つめ直すことを

やっていたりします。

 

まー年末に向けての準備ですね。

 

もっと今よりも飛躍するためには、

どうすればいいか?

どういう方向性がいいか?

みたいなことを自分に問い直し、

再解釈をするという自分自答を行っていたりします。

 

自分で人生を生きる、

自分で決めるというのは、

結局のところこういうことの土台の上にあるので、

定期的に見つめ直すというのが大事だったりするんですよね。

 

別に自問自答をしなくても、

なんとなく周りに身を任せて生きてはいけますが、

自分の人生を生きるとなると、

ここは避けて通れない部分だったりします。

 

そんな感じで、

個人的には今がそういう時期に

さしかかったかなぁといったところです。

 

とまーそんな今日この頃を送っている

わけなんですが、

写真は今度うちのお寺である、

恒例行事の立て札を書いているところ。

 

立て札って普段、全然書かないんで、

どう書けばいんだ?ってなっちゃいますよね。

 

最近はもう機会ですでにうちこまれている

ことが多いわけですし、

書き方ってどうなんだ?ってなりました。笑

 

でまーわからないなりに、

調べて書いている所のようす。

 

まだまだ字は下手くそなんですが、

こういう時に書道教室に通っていて、

よかったなと思いますね。

 

昔はもっと下手くそでしたから。笑

 

こういう風に目に見えて、

自分の成長がわかるというのは、

ほんとうに嬉しいこと。

 

練習しているときは、

地味なのですが、

本当に役に立つことととって、

地味なことからしか得られないんだなと思います。

 

地味の語源を調べてみると、

地は漢語で土の土壌をさし。

味はその上にできた作物をさすと書かれています。

 

地の上に実りができるということですね。

 

数百年前の農民は今よりも豊かな社会

じゃなく、明日食えるか食えないかの

生活をおくっていたと思います。

 

そう考えると、

地味なことの上に実りができるんだという、

彼らの生き方が垣間見れるような気がします。

 

実りができる過程には、

地味でつまらないことが、

欠かせないということですね。

 

そんなことを思いつつ、

筆で立て札を書く今日この頃でした('ω')ノ

 

日々、自分を耕し、

実りのある習慣をつけるのは、

地味ですが大事なことなんですね。


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