お家で写経をやってもあまり意味がない理由とは?お寺の体験について語る

どうもおしょうです!

今日もオーダーお香の制作で、

相手の話しをヒアリングしながら、

どういうのがいいかなぁ?っと考えておりました。

 

作るに関しては2、3日あれば余裕でできるのですが、

やはりどういったものを作るのか?

というのが重要だったりします。

 

しかしまー時間は有限。

ある程度方向性を決めて作っていかなくてはなりません。

 

それで「う~~む・・・」っと

額に汗をかいております。笑

 

そんな感じで、

個人的に自分はなにを作るかよりか、

工程を大事にしているなぁっと、

今の自分を客観視しんがらふと思ったんですね。

 

どのようなものをどう作るか?

っといった感じでね。

 

まーそれについては、

良い悪い、長所短所があるわけなんですが、

それが自分のスタイルなんだと、

理解したといった感じです。

 

で、

よくよく思い返すと、

お寺体験でも同じことやってるなぁって

思ったんですね。

 

それは写経。

 

おしょうのお寺体験では、

写経があるわけなんですが、

他のお寺さんと違うところは、硯を使うところです。

 

これには自分なりの理由がありまして、

「硯を使わないとなんか気分が盛り上がらない」

っというのもそうなんですが、

硯に水を垂らして、墨でスリ、試し書きで濃さを確認して、

書いていく。

その工程に写経を書くといった意味合いが込められているんじゃ

ないか?っと思ったんですね。

 

単純に液状化された墨をドボドボ垂らして書くのでもなく、

筆ペンで書くわけでもなく、

わざわざ墨をスッて書く、その行為に写経に対する心構え

があると思ったわけです。

 

仏教には「心身一如」という、

心と体は一つといった教えがありますが、

まさに写経で墨をスルというのは、

そういうことだと思うんです。

 

墨をスルことによって

写経の心構えをしていくっといった感じですね。

 

そして、

それも含めて写経だと。

 

それに墨をスルことによって、

墨の濃さなんかを考えて、

自分自身に問いかけるということも行われます。

 

あとは線の太さとか、

墨の量とかね。

 

こういうふうに、

写経をするということは、

自分と向き合うということにもつながっていたりします。

 

仏教について僕が最近よく言うのは、

得るのではなく、気づくこと。

っと言ったりするのですが、

要は仏教ごとで○○すれば必ずなにかが得られるという

ものではなく、自分と向き合ってそこに気付くこと

というのがポイントだったりします。

 

自分に問いかける。

逆を言えば、

自分の心構えがいい加減だったら、

なにも気づけないということです。

 

だから写経も、

「書く」ことに意味があるのではなくて、

工程を含めた書くことに意味があるということですね。

 

なので、

おしょうがお家で写経をおススメしない理由は、

そういうことです。

まーお寺に来てほしいという理由もありますが・・・笑

日常の延長線上で、

やろうと思っても日常に意識が引っ張られて、

途中でやらなくなるからですね。

 

だからまー

お寺体験で「家に帰って写経やります!」

っという方がたまにいらっしゃるのですが、

「多分やらないだろうなぁー」

って思っていたりします。笑

 

なぜならさっきもいったように、

「書く」ことに意味があるのではなくて、

工程を含めて書くことに意味があるので、

お家でやってもお寺と同じような気持ちには

ならないだろうなって思うんですね。

 

なので、

おそらく90%やらないだろうなっと。

 

そんな感じで、

今回は写経についてお話ししましたが、

他のことでも同じことがいえたりします。

 

「やること」だけに注目するのでは3割ぐらいしか理解することができず、

やる行為も含めて行うこによって、

100%その意味を理解することができるということですね。

 

点ではなく線を。

その裏側を見ようということです。

 

なんか難しい話しになりましたが、

お寺に行かれた際は、

そういう裏側のなぜ?に注目してみると

自分自身にとっての気づきが得れるかもしれませんね。

 

※不定期ですがメルマガやってます。

ブログよりもお寺の教えについて話しています。

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