お寺の手押しポンプの修復から久々にとりとめもない話し

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どうもおしょうです!

いきなりスパナの写真でごめんなさい。笑

これ、なにかといいますと、

最近お寺の手押しポンプが壊れてしまいまして、

(厳密には呼び水を入れないと出ない状態)

一応近所のおじさんが直した?と言っていたのですが、

完全に直っていないのがシャクなので自分でも直してみることに。

 

あ、ちなみに近所のおじさんは、

手押しポンプの修理専門の人ではなく、

土木関係にちょっと詳しいぐらいの人です。

なので、

専門職の人でない限り、

個人的にあまり「直した」というのは信用していんですね。

実際に前の状態に戻ってないわけで・・・

 

こういうのって田舎でよくあるんですね。

なんというか、それなりに知り合いに頼んで、

その知り合いの判断だけで「これでいいや」としちゃうことが。

 

で、

その知り合いが本当にその道のプロで、

そのことについてならなんでも知っているという人ならいいのですが、

たいがいの場合は、「知り合い」というのだけをつてにしているので、

怪しいこともあったりします。

 

イメージ的には、

個人商店の電気屋さんに、

最新機種でハイスペックですよ!っといって一世代前のパソコンを

おいていて、その電気屋さんが知り合いだからという理由で、パソコンを頼むと、

それを勧められる。

そんな感じです。

 

これが個人的なことだったら、

まーいいかもしれませんが、

一応お寺も公共のものですし、「今後もお寺を良くしていく」という観点では、

譲れないものがあったりします。

 

手押しポンプを稼働させるために

いちいち呼び水をくんで入れないといけないって、

なんか嫌じゃないですか?

しかも呼び水のバケツを常に置いとかないといけないので、

見た目的にも美しくない。

 

ほんとどうでもいいようで、

細かいようですが、こういう感覚って大事だと思うんです。

むしろこういう違和感を感じる感覚を消すことって、

なにか大事なものを失うような気がするんです。

 

一度でも諦めると、それが積み重なる的な。

 

違和感を感じないようにすればするほど、

周りがどうでもよくなって人と揉めることはあまりないのですが、

逆に生きるということが白黒の無味無臭になると思っています。

なにをしても、「へぇ~」で感じないといった感覚ですね。

 

こうなったら絶望といいますか、

人生生きていてつまらないと思うんです。

 

だから、

自分の中の違和感というものを大切にした方が

いいと思うんですね。

こうした方がもっといいなっていうこと。

 

なので、

こうやって手押しポンプを実際に自分で解体

して、業者に電話でアドバイスをうけながら修復しているわけです。

可能性がある限り、全部試したいですからね。

無理かもしれないけど一応やっておきたいということです。

 

で、

結果は・・・

ざんねーーーん。

ざんねん子ちゃんでした( ;∀;)

アドバイス聞きながら言われたとおりに修復してみたんですが、

やっぱり直らない。笑

オーマイブッダ!!

 

でも、

まだ諦めません。

手押しポンプは呼び水なしの方がいいですから!

っということで、

なんのとりとめもない手押しポンプの話しになりましたが、

お寺のあの空間というのは、

こういった地道なやりとりがあるということですね。

 

全てには人の手が加わっていますから。

 

しかしまー

古いモノを保つというのは、

近くの業者が簡単に見つからないので毎度大変です(^^;