当たり前は異常なこと!?お寺の法要から見えてくる当たり前の話し

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まいどどうもおしょうです!

いや~夏いですね~。笑

っということで、

昨日は近所のお寺の法要があったので出席してきました。

もうね、暑い気温の中、本堂に50人ぐらいがギュッと入るわけですから、

暑いったらありゃしないわけですよ。笑

 

それで今回の法要はちょっとした参加型のものだったので、

動いたりするわけですね。

あっそれ!それっ!っと。

(実際はそんな動きしてません。笑)

 

まーそんな感じで多少動いたりするわけなんで、

熱気がムンムンなのですが、

やっぱね、こういうふうに何十人も人がいると場のエネルギーが

すごく高くなるのがわかります。

 

全員で鉦吾を叩いていた時なんてもう、

なんだこりゃ?っといった感じです。

(ちなみに鉦吾はコレ↓)

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カンカンカーンっと、

南・無・阿・弥・陀・仏の一定のリズムで20分ぐらい

ずーーーーーーーっと叩き続けるわけです。

 

それはもう、

町中だったら

「なんかやばい宗教じゃないか!?」

って思われるぐらい。笑

 

こうやって客観的に見ると、

ほんとお寺って日本の宗教で広く認知されているんだなぁっと思います。

だって、

装飾からやってることから、

客観的にみたらよくわかんないですから。笑

 

これがもし、少数派の新興宗教とかだったら、

間違いなく「ヤバい」っと思われたと思います。

 

そういうふうに、

すでに一般的に「当たり前」のように認知されている

ということはありがたいことなんだなぁっと思います。

 

いまから新興宗教立ち上げて、

そこから一般的に理解してもらおうなんって、

大変ですから。

 

で、

これに関しては別に宗教だけの話しではなくて、

他のモノやコトにも同じようにいえたりします。

「当たり前」のように受け入れられているもの。

 

それは先人が切り開いて築きあげた先に

僕らが立っているということがいえます。

 

そう思うとありがたく、

生かされているんだなぁっと感謝が生まれてきます。

 

その感謝を無下にすることなく、

僕たちもまた次の世代へと続くように

新しく受け継いでいきたいものですね。

 

目新しいモノばかりに目がいきがちですが、

脚下照顧、足元にも目を向けることも大切だと

思う今日この頃でございました~。

 

※不定期ですがメルマガやってます。

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