どうもおしょうです!
今日も朝からお勤め(仏さんの前でお経を唱えること)
をしておりました。
お家によってはおじいちゃんおばぁちゃんがやっていたり、
家族で毎朝手を合わせる人もいたりすると思います。
で、
最初のうちはなんか周りがやるから
やっているみたいな感じで、
よくわからないままやっていることが多いと思います。
お葬式とか法事やお墓参りなど。
なんかやってるなぁって感じで。
どちらかというと、
仕方なしみたいな感じがあるのではないでしょうか?
頭では「ご先祖さんありがとう」ってわかっていても、
どこか心では腑に落ちていないもの。
これも以前話しましたが、
個人的にはそれでいいと思っています。
強制的に「感謝しなさい!」とやらされる
ものではないので。
それに、
人の行動を変えることができても、
心までは変えることができませんからね。
仕方ないことです。
ただ、
ご先祖さんに手を合わせたり、
お墓参りをすることに意味がないかというと、
そういうわけではないと思います。
意味が無いのであれば、
今の社会でお墓参りや法事、
お寺の法要などの文化はとうの昔に無くなっていると思います。
そう考えると、
ご先祖さんに手を合わせる好意に意味が無いのでは
なくて、
わたしたち受け手が意味を感じられないのが
原因だといえます。
良い悪いはおいといて、
意味を感じられないと。
で、
僕自身もそうでした。
なんなんだろうなぁって。
今でも完璧にわかったわけではなく、
たまになんなんだろうなぁって考える時があります。
ただ、
お坊さんを志す前は
もっと呪い的で「なに熱心に念じてんの?」みたいな、
少しバカにしているというか疑心暗鬼なところがありました。
じいさんばあさんがなんかやってるなぁってな感じで。
でも今は、
お寺をとおしていろんな方と出会うことによって、
前より少し考え方が変わりました。
きっかけはお寺の一人のおじさんです。
この方はお寺の檀家さんなのですが、
とある用事でお家にお伺いした時に二人でお話しすることがありました。
その時に、
ふとそのおじさんが呟かれたんです。
「昔はお寺にまったく興味なかったけど、
今は心変わって興味持つようになったんだよなぁ」っと。
僕自身、普段腰を据えて「なんでお寺に興味持ったんですか」と、
檀家さんに聞くことがなかったので、
この言葉はすごく印象的でした。
だいたいはお寺に興味を持っている前提で
接したり、建前で話されることが多いので、
素からでたこの言葉は印象的だったのを覚えています。
で、
この言葉を聞いてから、
自分の中でお葬式や法事で
「ご先祖さんに手を合わせる」ということに前より
違った視点で興味を持つようになったんですね。
そしてよく見れば、
ご高齢になればなるほど
仏に手を合わせる人がいらっしゃるなと。
逆に若い人は少ないなと。
これは人としてなにか
普遍的なものがあるんじゃないかと。
で、
今言ったように本当のところの意味というのは、
歳をとらなければ感じれないのでわからないと思います。
ただ、
完全に意味を感じれなくとも、
少し近い感覚を体験することができます。
一度深呼吸を大きくして、
亡くなられたご先祖さん
一人ひとりをイメージしてみてください。
そして、
その人の幼少期から亡くなられるまでの
営みから、今の自分と繋がっているところまで
イメージしてみてください。
そのご先祖さんの命のリレーの
上に自分が立っていると。
そして、
全員が自分を応援してくれていると。
そうイメージすると、
おそらく感謝と敬意の心が生まれると思います。
これが今おしょうがオススメする
供養をする前の供養の作法です。
仏壇やお墓に立つ前にやって
見られるといいと思いますよ。
それで、合掌と。
供養というと法事やお葬式みたいな、
形式的なものだけをイメージしがちですが、
本来は心と形式が伴って「供養」というものになるんですね。
ということで、
もし「ご先祖さんに手を合わせるとかよくわかんないな」
という方はものは試しにどうぞ。
意外と気持ちいいものですよ。