どうもおしょうです!
さーてお盆前に久しぶりに時間が空いたので、
お寺巡りをしてきました。
まーそれについてはまた後日お話ししたいと思います。
さて本日はお寺の体験で思うことをば少し。
お寺の体験というえばいろいろありますが、
その中でメジャーなものといえば写経だったりします。
筆でお経を書いていくあれですね。
で、これに関していえば、
わざわざお寺でやらなくても、
写経セットみたいなものを買えば、お家でできたりします。
でもなぜわざわざお寺でやるのか?
それはお寺と写経が二つで一つの体験になっているからなんですね。
だから、家で書く写経と、
お寺で書く写経はやっていることは同じでも、
受け取る情報というのは全然違ったりします。
そこにお寺で写経を書く意味があるんですね。
これは以前にもお話ししましたが、
目に見えることだけを見ていたらわからないこと。
「写経って家でもできるし、
わざわざお寺でやらなくてもよくね?」
という感じにとってしまいがちです。
もちろんそれはそれで、
お家でも楽しんでかけるのであれば、
それもまた一つの写経のあり方だと思っています。
ただ、
お寺でやる写経は、
「お寺と写経で」ワンセットなんですね。
そこにもしかしたら、
お坊さんの小話的なものも入ってくるかもしれません。
それらが含まれて、
表面上では書かれていませんが、
お寺の写経ということです。
どこで書くという場所もまた、
体験の一つということです。
たまにカフェに行くと勉強をしている人がいますが、
あれもそうですよね。
別にカフェにわざわざ行かなくても、
お家で勉強ができるわけです。
でも、わざわざカフェに行くというのは、
そこでしか得られないなにかを体験しに行っているということです。
それは集中力かもしれませんし、
気持ちを切り替えるためかもしれません、
はたまた知的に見られたい願望なんかもあるかもしれません。笑
まー理由はなんにせよ
それらを得るためにわざわざカフェに行っているということですね。
こういうやることは同じでも、
場所によって得られる結果が変わるというのを、
仏教では縁起といったりします。
縁起がいいの縁起ですね。
縁起とはそもそも世の中は、
なにかとなにかが関係しあって、
なにかが生じているという考え方で、
カフェの例を出しても、
「家で勉強」と「カフェで勉強」とでは、
生じるものが変わってくるということです。
なので、
「公園で勉強」でも結果が変わってくると
いうことですね。
(子供たちが騒いでて集中できなかったとかね。)
そんな感じで、
目に見えないものを見るということは、
その生じている一点を見るのではなくて、
その生じているものは、なにかとなにかの関係性で
出来ているからそれも見るということですね。
なんというか、
時間、場所、誰となど、
そういうのも体験に影響しているということです。
なので話しを戻すと、
わざわざお寺で写経を書くということは、
そこのお寺でしか得られない経験を得ているということですね。
まーこれに関しては、
体験しないとわからないことだったりします。
経験というのは目に見えないものなんでね。
そういうお寺でしか味わえない副産物にも、
写経を書こうと思われている方は、
注目していただければと思います。
数百年続く建物で写経をするだけでも、
家では味わえない経験ですからね。
※お香のショップをやっています。
まだ数は少ないですが、日々増えていますので要チェック!
落ち着きたい時や、集中したい時、気持ちを切り替える時なんかに、
お香を焚かれることをオススメです。
※不定期ですがメルマガやってます。
ブログよりもお寺の教えについて話しています。
あと、ココだけの話しも。笑 よろしければどうぞ!