お寺の座禅は木の棒でペチンッ!と叩くものだけじゃない!?

どうもおしょうです!

座禅には大きく分けて2種類の

ものがあります。

 

一つは呼吸に集中して、

雑念を無くしていく止の座禅。

 

もう一つは、音や体の動き、

体温などを観察して、

ものごとをそのままみる観の座禅です。

 

海外ではサマタとヴィバッサーナ

とかいったりしますね。

 

で、

両方とも同じ座禅なのですが、

先ほども軽く説明したように、

その意味合いが少しだけ違います。

 

よく一般的に木の棒でペチンと

叩かれる座禅が止の座禅です。

 

座禅といえば、

大概の方がこちらの方を思い浮かぶかと思います。

 

この止の座禅に関しては、

呼吸を意識することによって、

普段散漫になっている意識を、

一つにし、雑念が起きにくい状態に持っていくということです。

 

なんか気持ちが落ち着かないなという時、

深呼吸をして落ち着かせる。

あれに近いものだと思っていただければと思います。

 

一方、

観る方は観察するというものですので、

呼吸を意識すると少し似ていますが、

目的はものを正しく観察するというところにあります。

 

僕たちは普段生活していると、

自分たちのフィルター(主観)によって、

モノゴトを観察していたりします。

 

好き、嫌い、ウザい、だるい、

最悪、めっちゃ最高、ステキ。

みたいなね。

 

一つの現象に対して、

なんらかの「気持ち」が

加わっているということです。

 

それが、仏教ではものごとを

ゆがめる原因だと言われています。

 

起きていることは、

ただただそれが、

右から左に行くように、

起きているのに、そこに「感情」をのせてしまう。

 

だから、

観の座禅をすることによって、

より冷静に客観的にモノゴトを見る

ということを行っていくんですね。

 

あー鳥がないてるなぁーとか、

車が走ってんなぁーとか

右上半身をつたって風が吹いてるなぁーとか、

そういうふうにただただ、

起きている現象をそのまま観察していったりします。

 

うまく集中できれば、

自分はただの物体で、

その周りにいろんな現象が起きている。

そして、その中に自分が溶け込んでいる。

そんな感覚になれたりします。

 

今回はそんな感覚を、

朝からお寺体験でびわこを目の前にして行いました。

 

多少太陽が照って暑かったですが、

近くにあったテントで太陽から隠れて、

座禅をしたということですね。

 

ここの場所は、ほぼ人がいないし、

通らないので、自然の音が沢山聞こえてきます。

 

さらに目を閉じると、

目の情報が無くなるので、なおさら。

 

より自然の音というのが耳に入ってくるんですね。

 

その感覚というのは、

目を開けている時には気づかないほど。

 

それぐらい僕たちは、

目の情報で普段ボンヤリとモノゴトを

見ているということです。

(正確には過去の記憶から

ひっぱってざっくりと見ていたりもします。)

 

目は感情と繋がりやすいですから、

そういうのを遮断して、

耳、鼻、肌だけで感じてもらうということですね。

 

そんな感じで、

お寺の座禅といっても、

いろいろ種類があったりします。

 

大きくわければ2種類ですが、

人によってやり方が違ったりするので、

座禅といっても必ず木の棒でペチンッ!じゃないということですね。

 

個人的には観の座禅の方が、

集中できてやりやすかったりします。

これも個人差があるでしょうが、

お寺などで、ぜひ体験していただければなと思います。

 

うちのお寺も暖かくなり、

ストーブを片付けたということで、

外の音がだいぶ聞こえやすくなりました。

 

観の座禅をするには良い時期になってきたということですね。

時計の針の音も聞こえてきます。


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