どうもおしょうです!
お寺で体験をやっていると、いろんな方が来られます。
それこそ仏教やお寺に今まで
興味なかった方もわりと多くいたりします。
特に若い人が多いかな。
今の日本のお寺の接点としては、
葬祭関係しかないこともあって、
そうなっているのかもしれません。
(若いと身近な人がまだ亡くなったりしないから。)
お寺や仏教に興味を持つというのは、
人によってタイミングがあります。
それは今まで100人以上の方と
話してきて、思うことです。
一番多いタイミングは、
やはり身近な方の死です。
そこからお寺や仏教に興味を
持ち始める方が多かったりします。
それ以外としては、
人生において想定外の不幸が
自分に降りかかった時。
または自分にとって、
人生の節目のタイミングの時ですね。
(結婚や転職、就職、引っ越しなど。)
それぞれ理由がバラバラなんですが、
共通している部分があります。
それは答えが無いということ。
直面した問題に関して、
心身ともに解決する、確かな答えが無いということですね。
だから悩むし、どうしたらいいかわからないと。
そういった答えの無い不条理なものに
ぶち当たった時に、人は答えを求め探します。
納得しないと次に進めないからですね。
とある先輩のお坊さんが、
「幸せとは納得感だ」と言っていたのですが、僕もそう思います。
人は自分の心で納得するから、
幸せになれるし、次に進んで前を歩けます。
これが納得しなければ、
いつまでたってもモヤモヤしたままです。
だから、人は無意識のうちに
答えが無いところに、それなりの答えを探していくのです。
それは多少こじつけでもいい。
とりあえず納得させて、
気持ちを処理させることが大事ですから。
そこで出てくるのが、宗教というもの。
僕は個人的に宗教は、
この世の答えのないことに対して、
答えを導くものだと思っています。
逆にこの世の全てがわかり、
みんなが納得いく答えがあるのであれば、
宗教はいらないと思っています。
でも人は、答えが無いことに対しても
答えを求めようとします。
人が死ぬのは、自然界的には、
ただ人が死んで動かなくなった
だけのことですが、
人はそこに意味を求めようとします。
死ぬ意味や、
死んでどうなったか?
ということとかですね。
そこには今の現状、明確な答えはありません。
むしろ自然界的には、
人間特有の考え方なので、あってないようなもの。
でも、人は納得しないと、
次に行けないので、答えを求めます。
だから、宗教というものが、
各地で生まれ、答えのない所に
答えを導きだそうとしてきたんですね。
そんなこともり、
自分は無宗教だとか、
宗教に興味が無い、必要ない、
という人は単に必要とするタイミングが
まだ来ていないだけで、いつかは求めるようになってきます。
それは5年後か10年後か、わかりません。
ただ答えのない所にぶち当たった時に
求めるようになるんですね。
なぜなら、そこに答えらしきものがあるから。
別に宗教を求めることは悪い事ではありません。
先ほど言ったように、納得しないと
人は前に進めないからです。
その点で宗教というものを
活用されると良いということですね。
あとはどの宗教の世界観が
自分にしっくりくるか選んだらいいということです。
一つじゃなくても、
二つ選んでもいいし、
三つ選んで都合のいいものを選んで解釈したらいい。
そう思っています。
ただ、宗教に疎い人は、
自分が壁にぶち当たった時に、
手っ取り早いものにすがってしまいがちです。
それがカルト宗教とか新興宗教とかに
なっていくわけで。
全部が全部悪いわけではないですが、
悪い団体につかまらないように、しなければいけません。
だから、宗教に興味ないとか、
宗教は必要ないと毛嫌いするというよりも、
「いつか必要とする時が来るかもしれない」
と思って、今は適度な距離で過ごされるといいかと思います。
誰しも求めるタイミングが来るので。
あとは、どの世界観を選んで納得するかは、
自分次第ということですね。
宗教観を少しでも持つことによって、
自分の人生の納得感というものが、増してくると思いますよ。
答えが無いけど進んでいく。
時間は待ってくれない。
だから納得して進んでいく必要がある。
そのために宗教やお寺があるということですね。
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