先日のお寺体験と勇気を与える人と不安を与える人の分かれめ

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どうもおしょうです!

今日は、

明日、朝から総本山での大法要があるので、

さっくっと書きたいと思います。

いや~完全に個人的なことですが、

木魚の曲打ちを習うぜ!っといってはや数か月、

トントンと話しが進んで本山の法要で木魚を叩く役(曲打ち)が

決まりまして、

現在、びくびく状態です。笑

明日大丈夫だかなぁっと。

だって、

明らかにベテランのお坊さんの中で一人叩くわけですから、

ただ、一緒にお経を唱えるとはわけがちがうわけです。

しかも総本山の本堂ですからね。

そりゃーもう、ビクビクなわけです。

ただ、

だからといって自分が偉いというわけではないですが、

こんなんでビビっている小さな自分の殻を一皮剥けると思うんですね。

なぜなら、

木魚で曲打ち叩けて本来当たり前ですから。

その当たり前の基準を自分のものにしたいからこそ、

普通の叩き方でやるという逃げ道を自分で無くして、

やるしかない状況に持っていくわけですね。

あとは、

失敗しようがうまくいこうがやるだけです。

 

ただ、

こういったときに、

いわゆる自己啓発の世界でいわれるドリームキラー

みたいな存在がいたりして、

やたらめったら自分に不安情報を与えてやめさせようとしてきます。

 

やめた方がいいよ~

失敗したら最悪だよ~

初めは普通の打ち方で慣れた方がいいよ~

ミスって法要が止まったらどうすんの~?

とりあえず今回はやめときなよ、みんなそうなんだから

 

って。

人の話しを聞くふりして、

最終的に不安な方に持っていこうとするんですね。

で、

こういう人は十中八九、

それを経験したことない人(やってない人)や、

やったけど失敗してそのままの状態の人たちです。

つまり、

彼らは自分で明確に意識していないのですが、

心の潜在意識のどこかで、

「こいつがやって上手くいったら、自分の立場がねぇ」

「こいつに抜かれたくない」

「やられたら困る」

ってどこかで思っているんですね。

なので、

無意識に相手をやめさせる方向に

持っていこうとするのです。

 

もし、

これが逆に、

やったことある人や何回もうまくやっている人の場合だと、

「やったらいいよ」

「大丈夫。君ならできる」

「挑戦するこたがなによりも大事なんだから」

「死にはしないよ。余裕、余裕」

っと初めてで不安の人に対して、

背中を押してくれるんですね。

それは、

一度経験しているからこそ、

初めての人の気持ちがわかるし、余裕があるわけですね。

だから、

不安情報を与える人と比べて、

ポジティブな勇気を与える選択をされるわけです。

 

要はこのことを自分に置き換えた時に、

どっちの人間になりたいか?

ってことだと思うんです。

いつか、後輩が挑戦しようと思った時に

「やめときなよ~」っていう人になるか、

「やりなよ、余裕、余裕」

って言う人になるか、どっちがいいですか?

ってことですね。

僕はやっぱ後者です。

頑張って挑戦しようとしている人に対して、

足を引っ張るような発言をするダサい人間には、

なりたくないですからね。

 

ちなみに、

今回はおしょうの木魚の曲打ちの話しですが、

普段の生活で悩み事があって、

誰かに相談しようと思ったとき、

その悩みを克服したり、前向きにどんどんチャレンジしている人に

相談されることをお勧めします。

特に、

経験したことない人から言われる不安を煽る、発言は、

基本無視していいです。

海外いったことない人が、

「海外はロクなことがない怖いよ~」っというのと同じなので。

相談するときは、

必ず相手を選びましょうということですね。

 

まー単に寂しさを紛らわしたいだけなら、

別の話しですが・・・

 

でも、

最終的には自分がどうしたいか?

が問われるところなので、

他不是吾(他はこれわれにあらず)

という仏教の教えのとおり、

他人は私ではない。

これは私の人生であり、あなたの人生ではない。

ということですね。

 

なにを言われても、

それは他人の人生の話しですから。

他不是吾です。

 

ということで、

さくっと言うつもりが、

ついついノッてしまい長くなってしまいました。笑

まーいつものことだから、いっか。笑

 

ちなみに、

写真は先日のお寺体験の写真です。

日帰り体験ということで、

関西からお越しでした。

こちらも、桜が咲いて良い季節になってきたようです。

さー明日は朝が早いので、

寝るとしまーーーす!!

それじゃーまた!

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