お釈迦さんはもともと実在した人だった!?の続編でっす

どうもおしょうです!

 

なにやらTwitterやフェイスブックを見ていると、

今週あたりからもう町は

ハロウィンの雰囲気になっているみたいですね。

 

結構気合を入れて仮装している人がいるそうで、

おしょうも昔、東京や大阪に住んでいた頃は

そういうのをよく見かけていたんですが、

田舎に戻ってくるとめっきりそういう仮装をしている人を

みなくなりました。

まー田舎で仮装してウロウロしていると、

変質者と間違われて通報される可能性がありますからね。笑

 

ただでさえ人通りが少ないですから、

暗闇で変な奴があらわれたら怖いですからね。笑

 

で、そんなハロウィンの雰囲気が漂う今日このごろ、

以前お話していた、

お釈迦さんの話しの続きをしたいと思います!

 

あれから結構日があいちゃいましたね。笑

 

書こう書こうと思うのですが、

ついついブログでは違うことを書いちゃったりするんですね。笑

 

まーそこらへんはご愛嬌ということで、

ご了承ください。

 

もしお寺のこと知識的にもっと知りたい!

っと思われているのであれば、

「おしょうのお寺マガジン」の方で書いていたりするので、

そちらに登録をしてもらえればと思います。

 

ブログの方はわりとゆる~い感じで

書いていこうと思いますので。。。。

 

ということで、

今日の本題にいきたいと思います!

 

前はお釈迦さんが出家した話しを

して終わったと思います。

 

今回はその後ですね。

 

で、

お釈迦さんはお城をでて僧侶になって

出家をし旅にでたわけなんですが、

やはりお釈迦さんも人間、

すぐには悟りを得ることができなかったと言われています。

 

ので、

出家してトータル6年程かかったと言われているんですね。

29歳で出家したので、

悟りを開いたのは35歳ということになります。

 

その6年間の間は、

師匠や修行仲間と苦行をやっていたそうなのですが、

苦行は意味ないなと悟ったのか途中で

その集団をぬけて苦行でもなければ堕落でもない、

その間のいわゆる自然体に身を任せた修行をされたと言われています。

 

まーこれを中道とかいったりします。

 

要は、苦しみと楽の間ってことですね。

 

今でもお寺の修行は苦しければ苦しいほど

スゴイみたいな風潮があったりしますが、

昔もそんな感じだったんだと思います。

 

なんとういうか、

苦しいことに耐えることこそ意味がある的な

感じですね。

 

まー苦しいことに意味はないとは言いませんが、

苦しいことが全てみたいに盲目になっては

いけないよという教えですね。

 

苦しいこともまた選択肢の一つにすぎないので。

 

イメージでいうなら、

仕事などで

「オレ昨日全然寝てない」と苦労を自慢してくる人がいて、

それに張り合って

「オレは48時間まともに寝てないけど」って、

お互い苦労アピールの終わりなきドツボにはまっていく感じですね。

 

なんとなくどんなニュアンスかわかってもらえたでしょうか?

 

まーお釈迦さんも最初は同じように、

苦労自慢の輪の中に入っていたわけなんですが、

途中でコレ意味ないなとわかって、

抜けだしたということですね。

 

その後、

一人で修行をし悟りを開くわけですが、

実は悟りを開いた後、

世のため人のためにこの気づきを人に伝えようと、

最初はされなかったそうなのです、

 

どちらかと言うと、

一人で悟りの快感を堪能されていたそうで、

仏教を広めようと思われていなかったんですね。

 

で、

それを見かねた梵天という神様が、

「あなたが知ったことを人に伝えなさい」

と説得をされたそうなんです。

(ここは昔の言い伝えなので、迷信的な

ところがあったりします。)

 

そして、

その指示通りお釈迦さんは

悟りの教えを広めるべく旅にでたというわけですね。

 

これが今も一般でもあり続ける仏教の最初の

始まりだということですね。

 

まー少しマニアックな話しをすると、

お釈迦さんが亡くなった後に

かなりざっくりと大きくわけて、

一般的に仏教が二つの派閥に別れていたりします。

 

1つはお釈迦さんの修行時代の教えを

重視する東南アジアを中心とした上座部仏教。

(瞑想や座禅などが代表的な例ですね。)

 

もう1つは、

お釈迦さんが悟りを開いた後の行動を尊重する、

日本でもおなじみの大乗仏教の教えです。

(お経を唱えたり、説法をしたり、建築や仏像など

文化的な側面も特徴)

 

 

てな具合で、

のちのち仏教が二つに別れたりします。

 

まー少しマニアックなお話しなのですが。笑

 

悟りを開くことに意味があるのか?

教えを広めることに意味があるのか?ということですね。

 

とはいえ、

今いったのは一般論ですので、

どちらも大事という方もいらっしゃるので、

お坊さんによりけりだったりします、

ので、

誤解しないで下さいね。

 

ということで、

今日も少し長くなったので、

ここらへんまでにしたいと思います。

 

今日は仏教の話しが強かったので、

もしかしたら、

少し固くてつまらなかったかもしれませんね。^^;

 

ので、

また様子を見ながらブログではお届けしようと思います。

 

でわでわ~(^^)