好きな自分で生きていく!ナルシズムとは仏教で発菩提心のこと

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どうもおしょうです!

今日は写真をご覧のようにお寺体験でした!

台風の影響もあってか、

今日の本堂はかなり涼しい感じになっていましたね。

ほんと、

夏のあの暑い本堂はどこにいったのやら。笑

 

そんな感じで今日は、

日帰りのお寺体験を行ったわけなんですが、

体験をやっていてやっぱ不思議なんですよね。

 

せっかくの休日を使って疲れることを

しにくるというのは。

趣味で休日、スポーツをするとかならまだわかりますが、

お寺の体験をしにくるというのは、やはり不思議なものです。

 

で、

やはりそれは、ただただ休日に遊びに来ている

のではなくて、なにかを学びに来ているのかなっと思っています。

 

今の生活を良くするための

ヒントを得るみたいなものでしょうか。

 

だから、

お越しになられた方には、

なにか生きるヒントになるようなものを

持って帰ってもらおうと考えていたりします。

 

直接会って話して、

その方にあった仏教の話しをしようと。

 

それが他のレジャー施設や観光施設、

遊園地などと違うところかなぁーっと思います。

 

まー遊んで学べるのが一番いいんですけどね。

 

ただ、

お寺にはお寺なりの魅力というか、

お寺にしかできないことってあるんだなぁーっと

最近思うようになりました。

 

この感覚はもう、

お正月の神社参拝みたいなもんですかね。

 

特に科学的にわかりやすく、

お正月に神社に参拝したら運気がアップする!

みたいな証拠がないのに、なぜか神社に参拝するみたいな。

 

どこか、こういう神聖な建物というのは、

人にとって無くてはならない普遍的なものなのかもしれません。

 

だからこそ、

来てもらえた方には少なくても、

なにか生きるヒントをもって帰ってもらおうと、

とりくんでいたりします。

 

やっていて一番嬉しいのは、

なんでもいいから感想や報告をもらうことですね。

それが「やってよかったなぁーっと」嬉しかったりします。

 

自分が人の役に立つというものほど、

嬉しいものはないですからね。

 

だから、

非効率で一日自分が縛られようがやっている部分があります。

 

もちろんそんな自分が好きという、

ナルシズムな部分もありますけどね。笑

 

でも、

そういうナルシズムな部分がなければ、

なんでもやってけないと思うんですね。

途中で腐っちゃうというか、

どうでもよくなって無気力になりますよね。

 

だから、

ナルシズムな部分って必要だと思うんです。

 

これを仏教では発菩提心(ほつぼだいしん)

といいます。

 

自分の中にある何かに近づく、または得るために律する心。

それが発菩提心です。

自分の心に旗を立てて、それに忠実に従うということですね。

 

もちろん、仏教語なので、

もともとは悟りを開くために、志を立てるといったものなんですが、

意味合い的には同じことです。

 

そして、

お経でもよく書かれているのですが、

発菩提心を掲げたお釈迦さんのお弟子さん(又は仏)は、

お経の中で、誓いのルールを宣言するんですね。

「私は○○する!」

みたいな。

何十個もそういった誓いをお釈迦さんの前で、

宣言するわけです。

 

それを律といいます。

 

つまり、自分で律する、

「自律」ということですね。

 

なので、

清く正しく生きよ!というわけではないですが、

お経の中でお弟子さんがやっているように、

自分の中での発菩提心を立てて、自分を律するということを、

背中で見せてくれているんじゃないかなぁっと思うんですね。

こういうことだと。

 

「好きなことで、生きていく」

とYOUTUBEのキャッチコピーでありましたが、

お釈迦さんのお弟子さんたちは、

「好きな自分で、生きていく」

なのかもしれません。

 

もっともっと自分を好きになるよう、

律していこう!ということですね。

 

いきなり大きく好きになるのは難しいかも

しれませんが、今日、一つ自分のことが好きになれる

行いなら誰でもやることできますからね。

 

そこからでいいと思います。

おしょうもそうなので。笑

 

とまーそんな感じで、

今回、お出しした精進デザートはコチラ!

imoyokan

ぐふふふふ( ・ ∀ ・ )

なんでしょう?笑

 

その答えはまた後日!

それでは今日はこのへんで!!

アディオス!!(^O^)/